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「拝金主義」にとらわれる現代社会 ― 伝統宗教が企業に理念を

城南信用金庫相談役 吉原毅氏

2017年1月6日付 中外日報(論)

よしわら・つよし氏=1955年、東京都生まれ。77年、慶応大経済学部卒、城南信用金庫入社。懸賞金付き定期預金などの新商品を開発。2010年11月、理事長。自らの年収を支店長以下に抑え、理事長任期を最長4年、定年を60歳とする異色の改革を断行。福島原発事故に当たり「脱原発」を宣言。著書に『信用金庫の力』『原発ゼロで日本経済は再生する』他。

信用金庫は、お金の弊害を是正し、人々が本来の人間性を回復し、理想の社会をつくるために生まれた協同組合の金融部門です。

協同組合の起源は、1844年のイギリスで生まれた「ロッチデール・パイオニア(ロッチデール公正先駆者組合)」です。19世紀の欧米では、産業革命により資本主義が急速に拡大した結果、貧富の格差は拡大し、家族や地域の絆が失われ、道徳や倫理が崩壊するなど、人間らしい考え方や暮らしはどんどん失われていったのです。

自分さえよければ 貨幣が観念を肥大

その原因は株式会社でした。アダム・スミスは『国富論』で「株式会社が増えるのは国家社会にとって好ましくない」と厳しく批判しました。株式会社は不祥事件ばかり起こすため、設立には国会もしくは王室の許可を要するという厳しい制約が課されていました。その原因は、株式会社は利益を目的とした企業だからです。利益を目的とすると、なぜ不祥事件が起きるのか。それは、お金が人類の生んだ最大の妄想であり、幻想だからです。

そもそも、お金とは何でしょうか。たとえば古代メソポタミアのお金は小麦でした。その後、銀や銅が使われ、紙幣が発明され、最近では電子マネーも登場しています。経済学の教科書を読むと「貨幣機能説」といって「貨幣とは①交換機能、②価値保蔵機能、③価値尺度機能を果たすもの」と定義しています。

私は数年前に、あるアフリカの未開集落のドキュメントを見たことがあるのですが、貨幣が生まれる前の集落では、獲物が獲れると皆で平等に分けていました。皆で助け合うのが当然だったのです。しかし町から商人が来て店を構えると、村人は獲物を平等に分け与えることをやめ、商人に売るようになったのです。貨幣が登場することにより、人々は「自分さえよければ」という観念を肥大させ、①交換しなければものをやらない、②貨幣に換えて独り占めしよう、③自分以外の存在は数値で管理できる自分の道具に過ぎない、という「自己中心の妄想」に取りつかれるのです。貨幣が紀元前4千年前にメソポタミアに生まれて以来、市場と分業が発達し、生産力は飛躍的に拡大しましたが、人々の対立や悩みが拡大し、犯罪や戦争が増加しました。

紀元前500年は、実存主義者ヤスパースが「枢軸の時代」と名付けた時代です。釈迦、ソクラテス、孔子などの偉人が輩出します。ヤスパースは、素晴らしい哲学の時代、と称賛しているのですが、私は、貨幣が猛威を振るい、人々の悩みが頂点に達した結果、偉人たちが宗教や哲学をもって、その悩みと真剣に向き合った「末法の世」と考えています。釈迦は、自我というものは妄想に過ぎないと説き、ソクラテスは、お金と自由に狂ったアテネの市民たちの思い上がりを批判し、孔子は、仁と礼により自意識を抑え、徳による理想政治を説きました。彼らにとっての最大の課題は、お金の弊害の克服だったのです。

個人主義、合理主義、自由主義という邪教

人類がこれまで築いてきた宗教や哲学、政治や法律、文化は、こうしたお金の弊害をコントロールして、社会のバランスを保とうという人類の営みです。たとえば文学でも、ディケンズの『クリスマス・カロル』、ドストエフスキーの『罪と罰』、夏目漱石の『吾輩は猫である』など、お金の弊害に対する警鐘を鳴らすものは、枚挙にいとまがありません。まさに「人類の歴史とは、お金との戦いの歴史」なのです。

お金の弊害が、急激に進んだのが、冒頭の18世紀のヨーロッパです。ハンガリーの経済人類学者カール・ポランニーは『大転換』という本の中で「産業革命などにより、これまで社会に埋め込まれてきた経済が暴走を始めた」と述べています。お金によって品物をやりとりする「市場」という「観念」が猛威を振るい、あらゆるものが「商品」として流通しました。この結果、人々の自意識、エゴイズムは猛烈に拡大します。他人を「商品」と考えて虐待することも始まります。貧富の格差に目をつぶり、「自分さえよければ、今さえよければ」という思想が生まれます。目に見えない神仏よりも、目に見える貨幣や物質を信じる「拝金主義」や「物神主義」が生まれます。これらを総称して「個人主義、合理主義、自由主義」と呼びます。

我が国では「個人主義、合理主義、自由主義」は良いことであるかのように考えられていますが、これらは幼稚で単純な思想に過ぎず、ヨーロッパの正統な哲学においては「危険思想」とされています。なぜかというと、ニーチェのいう「虚無主義」、ウェーバーのいう「官僚主義」、デュルケムのいう「アノミー」、オルテガのいう「大衆主義」を生んだ元凶だからです。現代日本においても、いじめや孤独、道徳や倫理の崩壊、家族や企業の破たん、うつ病や劇場型犯罪という形で猛威を振るっています。これらはみなお金の弊害が生んだ現象なのです。

現代日本における至上の価値とは、何でしょうか。日本国憲法では「豊かさと生命の安全」「自由と平等と人権」でしょうか。しかし、これらの美しいコインの裏側には「拝金主義」という負の側面があることを忘れてはいけません。

現代では「自分は無宗教である」と考える人が大多数を占めています。信仰や宗教というと「あやしいもの」と考えて、「信仰を持たない自分たちはまっとうだ」と考えている人が多いのです。しかし、こうした方々は、実は、自分たちが個人主義、合理主義、自由主義という「邪教」にとらわれた「偏ったいびつな人間」であることに気づいていません。その証拠に、彼らは精神的に病んでおり、元気がなく、信念がなく、臆病で、損得には病的にこだわり、幼児的で、殻に閉じこもり、刹那的です。人間として、決してまっとうな生き方、考え方ではありません。そして、そうした方々が中心となった現代社会は、まさに「異常な社会」です。

こうした病理現象を引き起こしているのは、ひとえにお金の弊害です。そして、こうした現代の病理を克服し、「夢と勇気と笑顔にあふれた社会を創る」という使命を果たすのが、信用金庫などの協同組合です。

勇気と信念を持ち、原発再稼働に反対

城南信用金庫は「人を大切にする、思いやりを大切にする」ことを理念とした社会貢献企業です。今から115年前の明治35(1902)年に当金庫を創立した徳川幕府の重鎮で上総一ノ宮藩最後の藩主である加納久宜子爵は「一に公益事業、二に公益事業、ただ公益事業に尽くせ」という言葉を残し、業界の不世出のリーダーである小原鐵五郎会長は「金もうけを目的とする銀行に成り下がってはいけない。私たちは公共的な使命をもった社会貢献企業です」と強調されていました。この加納子爵も、小原会長も日蓮宗であり、情熱と信念を持って「世のため、人のため」に業務に取り組んできたのです。

現代人と現代企業が、損益に振り回されず、理念や信念、理想を取り戻すために、私は、今こそ、仏教やキリスト教、神道など、時代を超えた伝統的な宗教に力をお借りしなければならないと考えています。現代社会こそ、こうした宗教が求められる「末法の世」であると思います。

私も、日蓮宗の檀家に生まれ、日蓮さまの迫害に負けない不撓不屈の精神、情熱ある生き方に感銘を受けて育ちました。2011年3月11日の福島第1原発事故は、風向きが逆であれば、我が国全体を壊滅させるほどの恐ろしい事故でした。それにもかかわらず、電力会社や経産省、政治家、財界、マスコミ、そしてそれを操る、ウォール街などを拠点とする欧米の富豪たち、いわゆる「原子力ムラ」は、自分たちの利権に目がくらみ、「原発は安全でコストが安い、無限に使える」などという「全くのウソ」を恥ずかしげもなく繰り返し、原発の再稼働を画策しています。

こうした中で、私たち城南信用金庫は、事故直後の4月に「原発のない安心できる社会の実現」を宣言し、以来、党派、団体、宗教を問わず、幅広い方々と力を合わせて、原発利権派と戦っています。これからも、どんな妨害があろうとも、勇気と信念をもって、「原発はやめましょう」という旗を断固として掲げ、地域の方々の仕事と暮らしを守るため、全力で取り組んでいく所存です。