ニュース画像
参列者が念仏を称える中、伊藤門主は1292霊の法名が記された御回向帳を1枚ずつ手繰った
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

日本の実証的宗教心理学の展望 ― 一神教的見方からの脱構築必要

東京大大学院総合文化研究科助教 松島公望氏

2016年12月23日付 中外日報(論)

まつしま・こうぼう氏=1972年生まれ。東京学芸大大学院連合学校教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。東京大大学院総合文化研究科助教。専攻は宗教心理学、発達心理学、教育心理学。主な著書に『宗教性の発達心理学』『宗教心理学概論』『宗教を心理学する』など。
◆日本の実証的宗教心理学が描く未来

実証的宗教心理学という研究分野が心理学の一部門として存在している。実証的とは「調査データに基づいて論じていく」ことであり、実証的宗教心理学とは「宗教にまつわる事柄を調査データに基づいて論じていく」ことを意味している。

しかし、実証的宗教心理学と聞いても、多くの人たちは「そのような研究分野は聞いたことがない」と答えるように思われる。実際、日本における実証的宗教心理学は長く沈滞しており、この分野は決して活発とはいえなかった。そのような状況ではあったが、2000年代以降、変化の兆しが見えてきた。

03年に宗教心理学研究会が発足したことを契機に、その活動の幅が広がっている。05年度、12年度に実証的宗教心理学をベースとした科研費研究プロジェクトの活動、11年には『宗教心理学概論』(金児曉嗣監修、ナカニシヤ出版)が、16年には『宗教を心理学する』(松島公望他編集、誠信書房)が刊行され、少しずつではあるが、日本の実証的宗教心理学は新たな広がりを見せている。本紙で取り上げられることもその現れの一つであろう。

そこで、この「論」を通して、筆者が考える「日本の実証的宗教心理学が描く未来」について論じてみたい。

◆アメリカの実証的宗教心理学を考える

欧米、特にアメリカの実証的宗教心理学は非常に活発で数多くの論文や書籍が刊行されている。日本では、実証的宗教心理学の論文、書籍は決して多くないことから、筆者を含め日本の実証的宗教心理学者はそれらの論文、書籍から学ぶことが多い。しかし、学んでいる中で感じることは、それらの論文、書籍の多くは「ユダヤ―キリスト教文脈」の観点から論じられているということである。

ここで言う「ユダヤ―キリスト教文脈」とは「一神教的な見方」であり、「キリスト教会に集うクリスチャンの姿(継続的に神を信じる、毎週、礼拝に通う、日々、神に祈る)」を想定したものである。そして、アメリカの実証的宗教心理学者は、この「ユダヤ―キリスト教文脈」の観点から、自分たちの調査結果を基に、宗教にまつわる様々な事柄について考察し、論じている。

アメリカの実証的宗教心理学者にとっては「ユダヤ―キリスト教文脈」が前提であり、それを中心に据えて宗教にまつわる様々な事象を捉えようとする。

具体的な例を一つ挙げると、アメリカにおいても「宗教的ではないがスピリチュアルである」と宗教教団(キリスト教)から一線を画する人びとが増えていると言われているが、その実態を考察する実証的宗教心理学者が「ユダヤ―キリスト教文脈」を中心に据えて“それとは異なる姿”として論じてしまうのである。広辞苑で「パラダイム」とは「一時代の支配的な物の見方のこと」とあるが、アメリカの実証的宗教心理学者の文章を見ると、「ユダヤ―キリスト教文脈」というパラダイムに拘束されている、その枠組み・物の見方から外れることはほとんどないとの思いにならざるを得ないのである。

◆ユダヤ―キリスト教文脈を基にした実証的宗教心理学の脱構築

「アメリカの実証的宗教心理学者がユダヤ―キリスト教文脈に拘束されている」と指摘したが、私たち日本人も同じように拘束されている面はあるのではないだろうか。その一つが「日本人は無宗教」との考えである。その背景には「継続的に信仰している宗教教団の信者さんとは違う、そのような信じ方はしていない」との考えが横たわっているように思われる。


この継続的な信仰の姿に「クリスチャン」を想定してはいないだろうか。その見方こそが「ユダヤ―キリスト教文脈」を中心に据えて“それとは異なる姿=無宗教”として語っているように思われる。筆者からすると、多くの日本人は特定の宗教教団を含め宗教にまつわる事柄に対して「信じること」さらに言えば「継続的に信じること」にとらわれすぎているように思われる。

宗教にまつわる事柄は全て「ユダヤ―キリスト教文脈」を中心に据えて語らないといけないものなのだろうか。当然、そうではないはずである。そこで筆者は「ユダヤ―キリスト教文脈」とは異なる観点から宗教にまつわる事柄を捉えてみてはどうかと提案したい。その提案とは「継続的に信じること(宗教的信念)」に縛られるのではなく、宗教にまつわる事柄に対して「感じ、体験すること(宗教的感情)」「行うこと(宗教的行動)」にも、もっと目を向けて欲しいといったものである。

多くの日本人が神社仏閣等の宗教建築物を見て神聖な気持ちになったり、大自然の中に身を置いて何となく温かい穏やかな気持ちになったりといったことがあるであろう。また、神棚や仏壇を拝む、お墓参りに行くといったこともあるだろう。このような体験、行動には「継続的な信」は介在していないが、多彩な宗教的感情や宗教的行動が存在している。そこには日本人の非常に豊かな宗教的な営み(宗教性)が見えてくるように思われる。「継続的な信(ユダヤ―キリスト教文脈)」の枷を外してみると、そこには「無宗教を自認する人たちの豊かな宗教的な営み(宗教性)」さえも見えてくるのではないだろうか。

そして、これからの日本の実証的宗教心理学に求められているのがこのような観点ではないかと考えている。この観点を中心に据えて調査研究を構築していくことが、ユダヤ―キリスト教文脈を基にした実証的宗教心理学の脱構築につながっていき、これまでとは異なる研究成果が創出されていくように思われる。

◆新たな連携・協働の提案

ユダヤ―キリスト教文脈を基にした実証的宗教心理学の脱構築を行うことは決して簡単ではないことは言うまでもない。私たち実証的宗教心理学ができることは限られている。そこで日本発の観点を創出するために「新たな連携・協働」を提案したい。それを示したのが上図である。心理学もそのような面があるが、二つにまたがっている分野もあることは承知している。この図はおおよその枠組みとして理解して欲しい。

「概念⇔実証⇔現場」としてそれぞれの研究分野が自分たちの持ち味を最大限に生かしていくものである。別の言い方をすれば、自分たちの足りない領域を他の分野が補っていくものである。心理学で言えば、調査を前提に研究を構築していくためにどうしても概念構成が「調査ができるための範囲」に限られてしまい、深く掘り下げることができない。現場も然りである。調査のために現場に赴くことはあっても「現場で生きる」ことはできない。「概念構成の深い掘り下げ」を宗教学、神学等が、「現場の実態(生の声)」を医療、看護等が行うことになる。しかし心理学を含む「実証」領域は「概念」領域および「現場」領域で見えてきたことを「実証する(それらをデータから裏づける)」ことができ、それぞれの領域に還元することができる。

他の分野を起点としても同様であり、この枠組みで考えると相互補完的な関係が成立する。このような関係が成立すれば、日本から「大きなうねり」を生み出すことができるのではないだろうか。そして、実証的宗教心理学はこの「新たな連携・協働」の橋渡し役になりたいとの思いがある。

まさに幕末の坂本龍馬のように薩長同盟を成立させ、日本に新たな道筋を付けたように、日本でも決して大きな領域ではない実証的宗教心理学がそのような役割を担うことができればとの思いがある。日本の実証的宗教心理学が描く未来とはこのような未来である。