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千葉勝浦の上総五十座 ― 460年超す祈りの伝統行事

日蓮宗本行寺住職 西川佳璋氏

2016年11月25日付 中外日報(論)

にしかわ・かしょう氏=1946年生まれ。立正大文学部社会学科卒。千葉日報記者を経て、日蓮宗本行寺住職。2008年に檀信徒会館「いのり」を開館。日蓮宗千葉県南部宗務副長、勝浦ロータリークラブ会長などを歴任。

千葉県勝浦市に五十座という行事がある。正しくは「上総五十座」と言う。五十座の歴史は今から466年前にさかのぼる。天文19(1550)年は、武田信玄と上杉謙信が長野市の南郊・千曲川犀川合流部の川中島で戦う3年前。この年天文19年春、池上本門寺第11世仏寿院日現上人は、池上本門寺(東京都大田区)と比企谷妙本寺(神奈川県鎌倉市)、両山の復興をかねて、上総地方の本門寺末寺へ妙法弘通の旅に出た。そして、勝浦・本行寺に逗留すること二百余日。お祖師様御一代記や江戸での耳新しい出来事等を近郷近在の人々に話して聞かせたのである。

その後、本門寺第12世仏乗院日惺上人、第25世守玄院日顗上人と、勝浦を訪れ布教。檀信徒より両山復興への多大な資金の支援を受け、両山の伽藍を維持したという。

7カ寺交代で奉行

勝浦・本行寺は、千葉県勝浦市浜勝浦10番地にある。日蓮聖人滅後60年を経た暦応2(1339)年、日朗菩薩の弟子・宝乗院日続が房総霊場参拝に訪れた折、真言宗長壽院を改宗。日蓮宗長壽山本行寺になった。

五十座は、日現上人の二百余日の布教から始まったが、日現上人以降の歴代貫首は本門寺でのお祖師様御給仕に支障のないところを求められて、期間を短縮し50日間となったことから「上総五十座」の名称が定着。上総地方檀信徒の信仰増進と家内安全等をかなえる祈願成就の祈りとなって五十座は根を下ろすこととなった。

長い間、五十座の名で親しまれてきた行事も、江戸時代を過ぎると次第に短縮化することとなり、戦前まで20日間だったものが、時代のニーズに合わせて10日となり、今日では春季4月に7日間の開催となっている。

ちなみに、今年平成28(2016)年4月は本行寺が当番年に当たったため、4月11日から17日までの7日間、「後座上人」と呼ばれる説教師に田端義宏・永昌寺(青森県鰺ケ沢町)住職を依頼。連日、堂内がいっぱいになる盛況であった。1週間の人出は、約千人を数えた。

五十座行事は、勝浦市内の日蓮宗寺院「浜組合」という23カ寺で執り行われている。この23カ寺の中に昔から「浜七カ寺」と呼ばれる寺院があり、毎年交代で会場となっている。

開催の順番は昔から決まっており、「浜・本行寺」浜勝浦10番地、「新戸・長慶寺」新戸663番地、「串浜・恵日寺」串浜753番地、「守谷・本壽寺」守谷772番地、「鵜原・法蓮寺」鵜原674番地、「松部・妙潮寺」松部1553番地、「川津・津慶寺」川津1655番地の順で毎年奉行する。各寺院では、数年前から諸堂及び庫裡の修理や整備の計画を役員と協議。決定後、寄付を檀方中に募り工事着工。開催に備える――ということになる。

「五十座」の行事は以上の通りの手順で開催されるが、この五十座開催中に次の「善行」が檀方中の女性たちから奉納される。それは、「踊り」である。踊りといっても、単なる民謡踊りではない。信仰に裏取られた心打つ「題目踊り」なのである。

嫁取り婿捜しの場

五十座の一日の流れは次の通りだ。朝8時半、運営スタッフの近隣寺院住職が会場寺院に登山し準備。10時、参拝の檀信徒らが入堂し、各家の先祖・父母兄弟・嫁ぎ先や実家の先祖を供養する諷誦回向を、前座上人が高座で行う。正午前に諷誦回向が終了すると、清興に移る。ここで、題目踊り等が奉納される。午後1時、五十座当番寺院住職が登高し、参拝のお礼と挨拶を申し述べる。2時、後座上人が踊り子と共にお題目太鼓で入登し、高座説教が1時間半、語られる。法話は、法華経講話から日蓮聖人御一代記が中心となる。

踊り子は、五十座開催寺院の檀信徒で組織される。着用する衣装は、白装束を身にまとう。白装束といっても中々理解がいかないだろうが、まず頭部に、青い布で姉さんかぶりの頭巾をかぶる。次いで、上半身は羽織状で丈の長い白行衣を着用。ウエストは頭巾と同じ青い帯で締める。羽織状の中は、同じ青の布で腰巻を作り着用。脚絆・白足袋という姿になる。右手には花笠を持ち、左手には数珠を掛け、舞う。踊る姿は、時代劇映画に登場する「旅姿の女性」であり、装束衣装が白行衣を着用したご霊場参拝の女性姿そのものである。

題目踊りが始まると、五十座開催寺院の踊り子と唄い手が互いに協力して世話をやき、題目踊りと一般の踊りが交互になり同じ唄が続かぬように調整するわけだ。題目踊りのリズムは、各地区によって僅かに異なる。浜地区は、海産物を取り扱うためかテンポが速い。内陸部に入った農村部ではややゆっくりとしたテンポになる。

五十座は、勝浦・浜組合の行事――と紹介したが、毎年7カ寺の中、1カ寺の開催になる。開催寺院を除く6カ寺は7日間の開催日の中で団体を組み参詣する。それ以外の16カ寺も、法縁・地縁から登山日を決めて参拝。本堂内は後座上人の法話を聞くものと、題目踊り、一般の踊りを楽しみにする信徒の三者が一体となる。

五十座は法話を聞き踊りを楽しむ場にとどまらない。互いに信仰心をバックとしているだけに心の悩みも相談し合ったようだ。一例を挙げると縁談話である。嫁取りや婿捜しの話を五十座の本堂ですれば両縁に結び付くこと間違いなし――であり、多くの縁談がまとまったようである。今でも、五十座を縁に親類となった家同士が、両家の先祖供養諷誦文回向の申し込みをして、両家の安泰を祈り合っている姿を見ることができるのである。

踊り子が上人送迎

五十座期間中に題目踊りを奉納する目的は、説教師の後座上人を讃えることが第一義となる。後座上人は五十座期間中、毎日高座に登る。この登高座の送迎が踊り子のまず大事な仕事になる。

後座上人が控え室で登高準備に入ると、踊り子は白装束に身を固め、唄い手と共に、後座上人を控え室へまで迎えに行く。装束を整えた後座上人の挨拶の後、唄い手、踊り子、後座上人、住職、山務員の順で行列を組み唱題太鼓で本堂に向かう。

入堂後、行列は先頭の唄い手が着座。後座上人が高座に登ると、踊り子はそのまま高座の前に出て、「一ツトサ 東の果てなる安房の国 小湊浦にて誕生なされし ナムミョウホウレンゲキョウ。二ツトサ 双親さまの二世のため 清澄寺にて出家なされし……」という「題目数え歌」に合わせて踊る。この間、後座上人は高座所作をする。高座所作の前半が終了して2~3分後に題目数え歌10番目が終わる。後座上人の発音で題目、法華経拝聴、回向、御妙判拝読と続いて説教となっていくのである。

後座上人の説教が始まる前に題目数え歌を舞うということは、道場荘厳と諸天の来臨を願い、これから語られる後座上人の説法を讃歎することがうかがい知れる。

法話終了後、高座を降りた後座上人を控え室まで、迎えの時と同じ態勢で踊り子唄い手が送り届けて、一日の業務が終了するのである。

五十座は、日蓮聖人賛仰と法華経信仰増進が目的であるが、それにプラスして、地域住民の子孫繁栄・住民和合も大きなウエイトを占めることとなっている。スタート当初は、本門寺妙本寺両山復興が主眼であったが、両山が立派に復興を遂げてからは、その尊い法華礼讚の行事が、房州寺院の伽藍維持のために使用されるようになっていった。この浄行を得て当地勝浦だけでなく千葉県内の多くの寺院においても諷誦文の回向が執り行われ、「上総五十座」が房州寺院の多くに多大な影響を与えてきたことは否めないであろう。今後益々寺院住職と檀方中が互いに協力し合って、五十座の発展していくことを祈念してやまない。