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心に寄り添うために発達障害を知る ― 全ての個性を認め合う

臨床心理士・浄土真宗本願寺派僧侶 武田正文氏

2016年9月7日付 中外日報(論)

たけだ・まさふみ氏=1985年生まれ。広島大大学院教育学研究科心理学専攻臨床心理学コース修了。臨床心理士。これまで精神科病院や学校、企業などでカウンセラーとして勤務。島根県邑南町・浄土真宗本願寺派高善寺衆徒。
本当の共感とは何か

現代社会における仏教や僧侶の役割が問われ、様々な新しい視点からのアプローチがなされています。私は「心」という視点から仏教に向き合っていきたいと考えています。仏教と臨床心理学は、どちらも人の苦しみに向き合い、その苦しみの解決を目指しています。両者の共通点、相違点を模索することで、現代を生きる人々の苦しみに仏教がどのように応えていけばよいのかが見えてくるのではないかと思っています。

近年の心理学ブームから、「共感」「傾聴」といった言葉がよく使われるようになりました。悩みを抱える人の気持ちに寄り添い、語る言葉にしっかりと耳を傾ける。シンプルで当たり前のようにも感じますが、実際に目の前の人と言葉を交わそうとすると、そう簡単ではないことに気がつきます。

私たちは、他者を理解しようとするとき、どうしても自分の価値観や考えの枠組みを基準にします。相手の気持ちを理解しようとしても「私ならこう感じる」「普通こうするだろう」という思い込みが、共感とは逆の働きをしてしまいます。

目の前の人を理解する一つの枠組みとして「発達障害」を紹介します。発達障害とは、能力の得意・不得意が極端なことから、生活上に何らかの困難があることです。「普通こうすればいいのに」と周りの人が思っても、発達障害を抱える人は、じっとしていられなかったり、言わなくてもよい一言を言ってしまったりしてトラブルになってしまいます。

脳の機能障害が関連していると言われますが、明確な原因は特定されていません。子育てをするときに物事を教えることが難しかったり、保育園や学校で集団行動することが苦手だったりします。

みなさんも周囲の子どもの中で、一見、元気で明るい子に思えるのに、学校ではトラブルが多いと聞き、「なぜこの子が?」と思うことはないでしょうか。こうした問題の背景に発達障害が隠れていることが少なくありません。簡単にではありますが、主な発達障害を紹介します。

ADHD(注意欠陥多動性障害)

多動性、衝動性、不注意が特徴となります。静かにしていなければならない場面で走り回り、一人で喋り出してしまいます。また順番待ちができず、新しいものを目にするとすぐに手を出します。好きなことには熱中できますが、集中力は途切れがちで、細かいところにミスが多くなります。

集団の中でルールを守って生活をすることが苦手で友達とのトラブルも増えがちです。そのため、叱られることが多く、次第に自信を失います。周囲の大人は、悪いところを指摘するばかりではなく、良くできたことを褒めてあげることが大切です。「静かに座って、頑張ったね」と声をかけ、適切な行動を定着させます。

外界の刺激に反応しやすいので、目や耳に入る情報を少なくする環境調整が有効です。また、多動性や衝動性が高い場合には、薬物療法も行われます。薬物療法に抵抗感を抱かれるかもしれませんが、ADHDの子どもたちは自分の多動性・衝動性が抑えられずに苦しんでいます。薬物療法で、症状を抑えることで本人も楽に生活が送れるようになります。

アスペルガー症候群

自閉症スペクトラム症候群とも呼ばれ、知的発達に遅れがないものの、想像力や社会性の発達に遅れが見られます。相手の気持ちが読み取りにくく、コミュニケーションに困難を持っています。またパターン化した行動が見られ、興味関心に偏りがあります。自分のイメージ通りに物事が進まないと怒るので、「わがままな子」と見られがちです。

アスペルガー症候群を抱える子にとって、学校や友達は予測できない不安な世界として体験されます。「周りの子と同じようにしていればいいから」というアドバイスを理解しにくいので、見通しのはっきりした具体的な指示が大切です。また、コミュニケーションについても、場面に応じてどう受け答えすればよいのかを練習すれば身に付けることができます。

勉強に遅れがなく、おとなしい子の場合、アスペルガー症候群だと気づくのが遅れてしまいます。小学校高学年以降になると、なんとなく自分が他の子と違うことに気づき始め、疎外感や劣等感を抱くようになります。大きく傷つく前、できるだけ早い段階でトレーニングをすることでコミュニケーションの苦手さからくる躓きを防ぐことができるでしょう。

学習障害

全般的な知的発達に遅れはないのに、聞く、話す、読む、書く、計算する、推論するなどの特定の能力を学んだり行ったりすることに著しい困難を示す状態をいいます。算数はできるのに、音読はどう頑張ってもできないということがあります。他の勉強はできるので、周囲の大人からは「怠けている」「もっと頑張ればできるはずだ」と思われます。

本人にとって何が苦手でどこに躓いているのかが分かれば、少し工夫をすることで学習がしやすくなります。文章の間に線を入れる、漢字に振り仮名をうつなど、ちょっとした工夫ですが、この工夫が見つかるかどうかで学習障害のある子にとっての勉強は違ってきます。

改めて発達障害とは

周囲の大人が発達障害に理解がないと、子どもの発達障害に気づかないままに傷つく体験を重ねてしまいます。本人は頑張っているのに、友達にも大人にも気持ちが分かってもらえません。傷つき体験が長く続くと、不登校やうつ、摂食障害、非行などの二次障害に至ってしまうことがあります。

大学生や社会人になってから発達障害が明らかになるケースもあります。学校のように一日の流れが決まっている状態では適応できていても、大学や社会に出ると、自分で柔軟に判断する必要が増え、うまく対応できなくなってしまいます。

発達障害の特徴を見ると「自分にも同じようなところがあるかもしれない」と思われたかもしれません。発達障害の特徴は特別なものではなく誰もが持っている特徴です。その現れ方が顕著であり、生活に支障がある場合に発達障害という診断がなされます。

得意・不得意が極端であったとしても、その特徴をうまく生かして生活できれば何の問題もありません。むしろ発達障害の特徴は、社会的に成功している人の中にも多く見られます。

多動で不注意ということは、裏を返せば、好奇心旺盛で行動力があり、新しいものを生み出すことに長けているかもしれません。こだわりの強さは、特定の分野での研究に向いているともいえるでしょう。発達障害を知るということは、一人ひとりの長所を大事にすることにもつながります。

お寺でできること

発達障害を抱えながら心豊かに生きていくためには、全ての人の個性をお互いに認め、支え合うことが大切です。これは発達障害に限らず、一人ひとりが生きやすい社会を目指すと考えることもできます。仏教の目指す世の中にも重なるのではないでしょうか。

浄土真宗本願寺派では今年度、「思春期・若者支援コーディネーター養成研修会」を開催しています。ここでは、発達障害や性の問題といった若者の心の悩みに対する理解を深め、仏縁を頂く者として何ができるだろうかと模索しています。

発達障害に限らず、社会の理解の低さからくる誤解や偏見により、複雑になっている心の問題は多くあります。お寺という仏縁を頂く場所で、世の中の苦しみを知り、一人ひとりのいのちを本当に大切にするというのは重要なテーマでしょう。

お寺には様々な人がお参りになります。葬儀や法事には子どもや若者がいます。僧侶が関わるのはわずかな時間かもしれません。しかし、発達障害を抱え、自分の苦しみを誰も分かってくれない体験をしている子どもにとっては「このお坊さんはちょっと分かってくれた」という少しの経験が心の支えになるかもしれません。

発達障害に対する理解を深めながらも、発達障害にとらわれず、目の前の人を大切にするという姿勢こそが本当の「共感」ではないでしょうか。