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善導「観経疏」十四行偈石刻の新発見とその意義

台湾中央研究院 歴史語言研究所助研究員 倉本尚徳氏

2016年7月1日付 中外日報(論)

くらもと・しょうとく氏=1976年、奈良県生まれ。東京大大学院で博士号取得。専門は南北朝隋唐仏教史。著書に『北朝仏教造像銘研究』、『最澄・空海将来「三教不斉論」の研究』(共著)、論文に「善導の著作と龍門阿弥陀造像記」などがある。
十四行偈石刻の発見

十四行偈とは、浄土教の祖師である善導(613~681年)が撰述した『観経疏』冒頭の五言十四行からなる偈文である。衆生に対して発願し三宝に帰依することを勧めているので、勧衆偈・帰三宝偈ともいう。浄土宗や浄土真宗の法要等において現在でも用いられる重要な偈文である。

2013年、私はこの十四行偈が世界文化遺産である龍門石窟(中国河南省)の第1074龕外上部に刻まれていることを発見した。その刻まれた年代については、銘文に「天后」(則天武后を指す)という語が見え、かつ則天文字を使用しておらず、この石刻銘文の願主と同じ慧審による石刻銘文(後述)の紀年が永隆2(681)年であることから、680年前後と推定できる。これは十四行偈の現存最古のテキストである。

龍門石窟における善導の活動としては、盧舎那大仏の造営を監督したことが知られるのみで、善導浄土教信奉者が龍門石窟の造像に関与した事例は知られていなかった。この石刻は、善導浄土教の信奉者が龍門石窟において活動していたことを直接示す極めて貴重な事例である。

発見の経緯

私はこれまで、主に仏像や造像碑に刻まれた銘文(造像銘)を読み解くことで、北朝時代の地域社会における仏教実践や信仰の様相を明らかにする研究を行ってきた。その成果についてはすでに『北朝仏教造像銘研究』(法藏館)にまとめている。また、唐代仏教石刻資料の収集と整理にも数年前より着手し、その宝庫ともいえる龍門石窟の造像銘について、その資料集である『龍門石窟碑刻題記彙録』を調べていた。その過程で発見したのが、今回紹介する十四行偈石刻であった。ただ、この資料集の釈文では文意が通じず、十四偈文の文字と一致しない箇所が多かったため、龍門石窟研究所の協力を得て、現地調査を敢行した。

この石刻は極めて高所にあり、結局遠くからの写真撮影しかできなかったが、持参した望遠レンズのおかげで、かなり鮮明に文字を判読することができた。文字を確認していくと、従来の釈文には誤りが多数有り、銘文前半の内容は十四行偈ほぼそのままであることが判明した。大正蔵本との相違が確認できたのは、「一一菩薩身」→石刻「一一菩提身」、「説偈帰三宝」→石刻「発願帰三宝」、「広開浄土門」→石刻「広流浄土門」の3カ所である。

1074龕の概要

十四行偈が刻まれた1074龕の位置は、趙客師洞と盧舎那大仏のほぼ中間にあたる。龕の大きさは、龕高188センチ、幅200センチ、奥行き235センチである。床面には各壁に沿ってほぼ八角形の窪みが9カ所存在する。主尊如来像と両脇侍菩薩像が3組はめこまれていたのであろう。また、龕中程の床面にはそれより小さな八角形の窪みが11カ所存在する。美術史研究者の久野美樹氏はこれについて、元来、蓮華座がはめこまれ、床面を浄土の宝池に見立てたものと推測する。さらに、正壁には方形の穴が設けられている。銘文に「此の経蔵を開く」とあることから、元来はここに経巻を安置していたと推測される。

十四行偈石刻銘文の内容

この石刻銘文の内容は善導の弟子と推測される慧審という僧の誓願文である。前半部分は十四行偈全体が用いられ、後半部分には、曇鸞『往生論註』や善導『往生礼讚』の一節が用いられている。欠損部分もあるので一部推測を含むが、以下にその内容を説明しよう。

まず、銘文の冒頭は「沙門釈慧審、一切衆生に勧めて、発願し三宝に帰せしむ」という文で始まる。すなわち慧審は自身を、発願して三宝へ帰依するよう衆生に勧める主体とし、十四行偈をほぼそのまま自身の誓願として用いている。その上で、「此の願を発こす者、……四十八願、又た天親菩薩の廿四願に依る」と述べ、十四行偈の誓願が、法蔵菩薩の四十八願、天親菩薩(世親)『往生論』願生偈に依拠することが述べられる。そして、この願によって極楽浄土に往生し、1万年後の法滅尽の際にこの世に戻り、この経蔵を開くという誓願を述べている。

また、曇鸞『往生論註』の文を援用して、浄土に生まれた後、衆生教化のため再び三界に生まれかわっても、阿弥陀仏の力により、無上菩提の種子が不朽であると述べ、この誓願の功徳を、天后や皇太子などに廻向している。銘文の最後は「経讚」として、「万年三宝滅」からはじまる善導『往生礼讚』の偈を引用している。つまり1万年後の法滅尽の際にこの世に戻り経蔵を開くという慧審の誓願は、この善導の偈をうけて述べたものであることがわかる。

十阿弥陀仏になるという誓願

慧審の発願による別の銘文が、龍門石窟薬方洞の窟門外上部の碑形の区画に刻まれた「究竟荘厳安楽浄土成仏銘記」である。銘記は永隆2(681)年4月20日に完成しており、これは善導が往生した同年3月の約1カ月後にあたる。この銘記は、慧審自身が未来世において阿弥陀仏になることを願うという驚くべき内容を有する。

慧審はまず、『観世音菩薩授記経』に説かれる、阿弥陀仏の次に安楽国において将来相次いで成仏する二童子に自身をなぞらえ、安楽国を荘厳するという誓願を述べる。続いて、「慧審二十八大願を発し、妙土を荘厳す。法蔵菩薩の四十八願も亦□た其の中に在り。我れ無上菩提を成ずる時、(中略)、願わくは西方安楽世界を取りて成仏し、国は安楽と名づけ、仏は阿弥□と号し、依・正の二報は弥陀仏と異なること無からん」とある。すなわち、自身が無上菩提を成ずるとき、西方安楽世界において成仏し阿弥陀と号し、依報(国土)・正報(仏と聖衆)ともに阿弥陀仏と同じであることを願うものである。

ここでいう「二十八願」とは、『悲華経』で説かれる、転輪聖王無諍念が、宝蔵如来のもとで西方浄土を選び取ると決意し発した誓願を、慧審がまとめたものである。実はこの『悲華経』に見える無諍念の誓願自体が、『無量寿経』に見える法蔵菩薩の四十八願をうけて成立したものであり、慧審はそのことを正しく認識していたのである。以下、銘記では、各願の内容を列記し、その誓願が成就されたときにはじめて無上菩提を成ずると述べる。

慧審による二つの石刻 誓願文発見の意義

最後に慧審によるこれら二つの石刻誓願文発見の意義について以下の2点にまとめておきたい。

第一に、1074龕の石刻は、善導存命中あるいは往生直後に刻まれた十四行偈の現存最古のテキストと言えることである。中国人による仏典注釈に属するものが石に刻まれること自体、これ以前にほとんど類例を見ない。『観経疏』の末尾には、「写さんと欲する者は一に経法の如くせよ」とあり、十四行偈が経典と同等のものとして尊崇され、石に刻まれたと考えられる。ただし、現在一般に読誦されている偈文とは一部文字が異なり、これをいかに解釈するかも問題となろう。また、十四偈文全体に加え、『往生礼讃』の一節、曇鸞『往生論註』の一節も慧審の誓願文に引用されていたことも忘れてはならない。

第二に、これら石刻が、善導浄土教において、誓願を立てることの意義を再考させる事例ということである。慧審は、善導が「万年三宝滅」として述べた法滅の危機を深刻な問題として受けとめた。そして、十四行偈の誓願によって自身が浄土に往生し、1万年後の法滅尽の際に、往生した浄土からこの世に戻り、経蔵を開くことで法滅の危機を救うという誓願を立て、実際に経典を書写して窟に保存するという行動に移した。また、法蔵菩薩の四十八願に基づく誓願を立て、成就すれば将来自身が安楽浄土において阿弥陀仏になると誓願を述べている。

慧審は、自身の誓願が善導の十四行偈誓願に依拠し、また、天親菩薩『往生論』願生偈にも依拠し、さらには、法蔵菩薩の四十八願に依拠していることを明確に意識している。こうしたいわゆる誓願の重層構造が意識されていたことは注意しておくべきであろう。