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韓国で「東アジア宗教研究フォーラム」創立記念大会

天理大おやさと研究所教授 金子昭氏

2016年4月1日付 中外日報(論)

かねこ・あきら氏=1961年生まれ。慶応義塾大大学院博士課程修了。博士(哲学)。専門は宗教倫理学、宗教人間論研究。著書に『驚異の仏教ボランティア―台湾の社会参画仏教「慈済会」』など。

東アジア宗教研究フォーラム(以下フォーラム)の創立記念国際学術大会が2月20日、韓国・済州島の国立済州大で開催された。大会テーマは「東アジア宗教研究の現在と未来」。基調講演を含めると、日本・韓国・台湾から計21人の研究発表が行われた。

宗教者と宗教研究者の交差点をめざして

このフォーラム開催まで、様々な紆余曲折があった。出発点は23年前の1993年、ソウル大で開かれた第1回日韓宗教研究者交流シンポジウム。その後、この交流シンポジウムが日韓両国で交互に開催され、2001年に日韓宗教研究フォーラムと改称、隔年開催に。08年からは中国も加わって、日中韓連携の国際学会組織としての東アジア宗教文化学会となり、同年に韓国の東義大で、翌09年には北海道大で研究大会が開催された。

出発時から関わる桂島宣弘・立命館大教授は、この一連の宗教研究交流は、東アジアにおいて宗教者と宗教研究者とが出会う交差点を目指したものだと述べる。実際、開催場所も日韓の大学や宗教施設であり、現地の伝統仏教・新宗教の寺院や教会などを訪問見学してきた。参加者も延べ500人を超え、学会誌や単行本も刊行した。

ところがこの研究交流は09年で止まってしまう。日本・韓国側と中国側とでは組織文化のありようが大きく異なり、そのため学会運営をめぐるあつれきが表面化したのである。尖閣沖の漁船衝突事故で急速に悪化した日中関係の影響も否定できない。国際学会が開かれないまま、歳月ばかりが経っていった。そうした中、今一度、東アジアの研究者や教団関係者による自主的参加、自由な相互交流をやり直すことを旗印に、このフォーラムが立ち上げられた。その際、日韓で運営委員会を設けて両国で毎年交互に研究大会を開き、そこに中国語圏の研究者にも入ってもらうことになった。23年前のスタート時の地点からの新規まき直しとなったのである。

東アジア共通の課題、東アジア宗教学の構築

領土問題や歴史認識問題を背景に、日中韓における国民感情は現在、決して良いとは言えない。外交・軍事面でも日中韓はおたがいに三すくみの関係にあるかのようだ。しかし、だからこそ、人々の草の根的交流が大切となる。宗教の研究という形を取ってこの交流を行いたい、ひいては東アジアの平和にも貢献したいというのがこのフォーラムの願いである。フォーラムとは古代ローマで公共広場を意味するものだったが、東アジア宗教研究フォーラムは東アジア圏の宗教に関心を持つ人々が集う自由な公共広場である。

そのためには、東アジア共通の課題を宗教研究者がおたがいに共有する必要があり、また西洋的宗教学の概念や方法論に囚われない、東アジア独自の宗教学の構築が求められる。日韓の基調講演はこれらの問題を取り上げた。

まず、櫻井義秀・北海道大教授が、東アジアに共通する社会的課題として、「圧縮された近代」における社会的排除の問題があると指摘。「圧縮された近代」とは韓国人研究者の用いた言葉で、西欧が200年かけた近代化を日本は戦後60年、韓国では朝鮮戦争後の30年で達成し、中国では1990年代以降の20年で実現している。成長と効率を最優先する大急ぎの近代化のひずみが、様々な社会問題をもたらし、その結果、今日では家族・教育・労働の3領域で制度疲労が生じているという。

これらの問題の解決のためには社会の現状の仕組みや価値観の見直しが必要であり、その役割を担うのはこうした問題を数千年の単位で見つめ、考えてきた宗教文化が欠かせない。現在、東アジア各国の人々は無縁社会に伴う社会的孤立など、人間として同じ種類の問題を抱えている。こうした問題に共感・共苦することから、研究の主題や実践を始めることができると、櫻井教授は述べた。

次に、韓国の柳聖旻・韓神大教授は、東アジアにおいて宗教研究を行う際、西洋由来の「宗教」概念に問題があるのではないかと提起。東アジア圏においては、信念や主義というよりは、文字通り「根本となる教え」である。何を信じるかが宗教ではなく、どのように生きるのかを学ぶことが宗教ではないか、というのである。「儒教が宗教なのか」と問うこと自体が「偽りの問題」であり、いつまでもそれに巻き込まれてもいいのだろうか。柳教授は、東アジアの人間として、自らの生と文化を理解するために、東アジアの宗教を研究するならば、「東アジア宗教学」を創造し発信していくべきだと述べた。また、将来的には、北朝鮮やモンゴルをも包括する東アジアの宗教研究が行われるべきだと語った。

東アジアにおける草の根的交流の懸け橋として

これまでの経過を経て、このフォーラムでは、国際学会を開催するにあたり、次の四つの方向性を見いだしてきたように思う。

第1に、母国語で発表できる国際学会であること。同じ問題領域を共有するにしても、社会や歴史における問題条件はそれぞれ固有のものであり、それを端的に示すのが言語である。国際学会発表も母国語で行ってこそ、発表者は自らの最高水準の研究を発信できる。もちろん、そこには、正確な通訳・翻訳が求められることは言うまでもない。

第2に、フットワークの良い国際学会であること。国際学会にはとかく人・物・金がかかるが、だからといって教団との一定の距離感も健全な宗教研究には大切だ。むしろ、東アジア各国の関係者がそれぞれに知恵を出し合って、可能な限り手作りの学会運営を行っていく。そのためにはフットワークの軽さが不可欠だ。

第3に、草の根の国際交流をめざした国際学会であること。東アジアの宗教文化と相互の研究を通じた交流に関心を持つ者なら、所属(国家、教団、学校など)にとらわれず、だれでも個人の資格で自由に自主的に参加できる。そうした開かれた運営姿勢を有してこそ、とかくぎくしゃくしがちな東アジア各国相互で草の根レベルでの交流は深まっていくのである。国家関係がどんなに悪化しても、個人としての信頼関係があれば友好の姿勢はくずれない。

第4に、これが最も大切な点であるが、次世代の研究者を育てていくための国際学会であること。大会テーマ「東アジア宗教研究の現在と未来」に相応しく、未来志向の姿勢がフォーラムの基本姿勢である。今回、発表者の大半を大学院生や若手研究者が占め、翻訳・通訳を担当してくれたのも韓国側の優秀な若手スタッフであった。彼らが誠実な学問的関心を持ち、相互に深くコミットしていけるような支援体制が求められるところだ。

東アジアの平和を導くのはどこまでも宗教

とはいっても、この宗教研究交流が進めば、共通の歴史認識におのずと到達できるとか、政治的和解の糸口が見えてくるとかというものでは決してない。大会の発表テーマにも、まだ国家間のデリケートな問題に直接入りこむような内容のものはなく、手探りで模索している最中だと言ってよい。

教団に属して信仰を持つ研究者であれ、信仰的背景を持たない一般の研究者であれ、研究対象は人類の叡智を宿してきた宗教文化である。教義学や神学、宗教学、社会学、歴史学、人類学など、研究者が持てる学識を駆使して東アジアの多様な宗教現象に肉薄することを通じ、むしろ逆に宗教の方から東アジア圏の友好親善のヒントや手掛かりがおのずと引き寄せられてくるものだ。その際、研究者に求められるのは、まさに研究対象である宗教文化から叡智ある教えを学び、導きを受けるという謙虚な姿勢ではないかと思う。