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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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悲しむ力の持続と「人間の復興」 ― 東日本大震災と宗教の働き

上智大教授 島薗進氏

2016年3月11日付 中外日報(論)

しまぞの・すすむ氏=1948年生まれ。東京大大学院人文社会系研究科教授などを経て現職、上智大グリーフケア研究所所長。主な著書に、『現代救済宗教論』(青弓社)、『日本仏教の社会倫理』(岩波書店)、『つくられた放射線「安全」論』(河出書房新社)、『いのちを“つくって”もいいですか』(NHK出版)など。
喪失の重みと「復興」の意味

東日本大震災の支援活動に携わってきた宗教関係者のお話をうかがう機会をもつよう心がけてきた。2011年4月1日に立ち上がった宗教者災害支援連絡会(宗援連)では、情報交換会やシンポジウムなどを続けている。災害後の追悼や宗教者による支援について報告している書物も読みごたえがある。そうした経験を通して、日本の宗教史にとって東日本大震災がもつ意味を考えてきた。

早くも5年の歳月が経過した。マスコミで被災者の悲しみの声を聴く機会は減ってきている。しかし、あたり前のことだが、災害で命を落とした方が帰って来られたわけではない。もとの家に帰れない人も多い。以前のような仕事ができなくなった例も多い。ふるさとが喪われたことによる心の痛みは、さほどやすやすと和らぐものではないだろう。

福島県南相馬市鹿島区の港行政区は、津波による壊滅的な被害から5年を間近にした16年2月21日、再建を断念して解散式を行った。1905年から干拓が行われ入植が進み、震災前には37世帯およそ130人が暮らしていたという。解散式には住民約50人が集まり、全員で「ふるさと」を合唱したという。住民はそれぞれに新たな居住地で生活再建を図っているが、環境も人間関係もすっかり変わり、今後も試練のときが続くことだろう。

実際の政治では経済的な復興が重視される。国や県は経済が活性化することにより、地域に人が戻り、地域社会が立ち直っていくという視点からの支援を重視する。そこで、経済的な次元から「復興」を見ると、5年間の支援によってかなり立ち直ったように見えるかもしれない。しかし、人々の心の中では悲しみ苦しみが続いている。喪われたものは多い。新たな生活を支える人的・物的な環境が整い、心の痛みも癒えたとはなかなかいえないだろう。「物財の復興」ではなく「人間の復興」の行方を見失わないようにしたいものだ。

原発被災者の苦難に寄り添う

被災者の中でも原発被災者の場合、報道されにくい困難が続いており、苦悩や怒りは重い。2014年6月の宗援連情報交換会では、木ノ下秀俊氏(真宗大谷派現地復興支援センター、南相馬市)による「それぞれのふくしま」と題した話をうかがった。真宗大谷派原町別院を本拠とする木ノ下氏だが、震災当時は原発に近い富岡町におり、人々とともに飯舘、福島、米沢、飯豊と避難した。そのとき頼りになる情報はメディアを通しては得られなかった。「何を信じればいいのか?」、以後も疑い続けている。

原発関係者からとにかく逃げるようにと言われたが、後で事実そうだったと分かった。行政とメディアの情報はあてにならないというその時の状況は今も続いている。放射能の情報も同様。汚染で出荷できないかもしれない稲を作るのかどうか。行政によしと言われても確かな情報はない。だから皆がそれぞれに判断しなくてはならない。その判断は多様にならざるをえない。それをお互いに認めて生きていくほかない。「それぞれ」を尊ぶことが日々必須のことだ。ところが「福島」とか「被災地」で一括されてしまう。「ひとりひとり」が尊ばれていない。

雁屋哲氏のコミック「美味しんぼ」で放射性物質による鼻血が話題になったことについてはあらまし以下のように語った。「鼻血は避難所で見聞きしたことがある。よく言ってくれたという思いがあるが、案の定つぶされた。放射能のほの字も言えないような状況が福島県内にある。心配があっても言えない。黙ってしまうしかない。心配していないわけがないが、口に出すと白か黒かになってしまう。対立しないためには言えない。そこで、誰にも言えず不安を抱えるようになっていく」

木ノ下氏は長く続くことになる困惑を語った。「宗教者として何かをするか? 初めにはそういう意識はもてなかった。人が必要としていることに応じていくことでせいいっぱいだった。今はどうか。『人はひとりひとりなんだ』ということを踏まえて、ひとりひとりの人間に会っていくこと。そしてできるだけのことをしていくこと」

だが、木ノ下氏はこのような状況だからこそ、宗教者にできることがあるかもしれないと語ってもいた。「もしかすると宗教者なら話せるということもあるかもしれない。人は自由な立場で寺に来るからだ。だから『用心しながら生きていく』『用心するに越したことはない』というようにしている。そうして普通につきあっていくようにしている」。控えめに、また慎重にではあるが、宗教者としての足場を強く自覚しつつ、被災者の心の痛みに寄り添おうとする姿勢を示すものだろう。

宗教・宗派の枠を超えた支援

原発被災地に限らず、東日本大震災からの5年、宗教の力が再認識される機会が増した。1995年の阪神・淡路大震災では精神科医や臨床心理士に期待が寄せられたが、この度は宗教・宗派を超えた宗教者の寄り添い支援の可能性に関心が集まった。これは震災直後に仙台で設立された「心の相談室」の役割が大きい。仏教・キリスト教・神道・新宗教の枠を超えて、被災者の心の痛みや悲しみに寄り添おうというものだ。

「お坊さんの傾聴喫茶」を掲げる「カフェ・デ・モンク」は、曹洞宗の金田諦應住職のイニシアティブによるところが大きいが、宗教・宗派を超えた支援活動のよい例だ。家族や知人と死別したり、住み慣れた生活環境を喪って不便な仮住まいを続けざるをえなかった被災者の心の痛みに寄り添う活動は、被災者を支える力となった。こうした活動が仙台とその周辺地域で在宅の死の看取りの医療を続けてきた岡部健医師の熱意に支えられていたことも注目に値する。医療の側からもスピリチュアルケアの必要性に認識が高まってきていたことが背景にある。

「心の相談室」や「カフェ・デ・モンク」だけではない。伝統仏教では高野山足湯隊、曹洞宗青年会の「行茶」など、阪神・淡路大震災以後に積み重ねられてきた寄り添い型の支援が多くの参加者とともになされるようになった。キリスト教や新宗教の諸団体の支援活動も多彩に行われ、しばしば宗教・宗派の枠を超えた活動へと展開した。原発被災地域の子どものための保養プログラムも多くの宗教団体によって行われている。

臨床宗教師の養成と公共空間の中の宗教

宗教関係者が寄り添い型の支援に大きな役割を果たしてきたことから、新たに「臨床宗教師」を養成しようとする機運も生じてきた。布教と区別がつきにくい特定宗教による支援ではなく、被災者の苦難や悲しみを受け止めて、心の支えの傾聴を行う。そのためには、従来の宗教者としての活動とは異なり、ケアの受け手が主体となるケアのあり方を学ぶ必要がある。だが、心の痛みに寄り添うこうしたケアは、災害のときにだけ必要なものではない。平時からのスピリチュアルケアが求められている。

そこで、東北大学などいくつかの大学で臨床宗教師を養成する講座や教育プログラムが導入された。臨床宗教師の平時の活動は、病院や介護施設に限られるわけではない。地域社会での様々な苦悩に関与する可能性が模索されている。自死念慮者や自死遺族のケア、路上生活者や貧困者の支援、引きこもりや孤立者の支援などだ。実はこれまでも宗教者はこうした活動に取り組んできていた。それらに新たな光が当てられ、再活性化される方向性が見えてきているとも言える。また、恐れられている将来の災害に備えた防災の活動にも宗教集団が積極的に関与する動きが目立ってきている。

こうした新たな動向は、公共空間における宗教のあり方を更新する可能性をもっている。行政や医療・ケア機関も、宗教関係者の参加を認め、むしろ積極的に求めようとする動きも見えてきている。新たに宗教が社会の中で働きを求められている。臨床宗教師の養成に広く関心が寄せられているのも、そうした認識の現れだろう。