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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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東日本大震災の復興支援から学んできたこと

高野山大教授 井上ウィマラ氏

2016年3月4日付 中外日報(論)

いのうえ・うぃまら氏=1959年生まれ。曹洞宗で只管打坐と正法眼蔵、ミャンマーでヴィパッサナー瞑想やアビダンマ仏教心理学などを学ぶ。米国などで瞑想指導の傍ら心理療法を学ぶ。仏教瞑想と心理療法を統合したスピリチュアルケアの援助法の開拓に取り組む。
津波復興太鼓

はじめて東日本大震災の被災地に赴いた時、「何かできることがありますか?」という問いかけに「太鼓がほしい」という答えが返ってきた。50年ほど前のチリ地震津波でも大きな被害が出た。その復興過程をテーマに「津波復興太鼓」という楽曲を作って伝えてきた。津波の翌日、太鼓隊の子どもたちの顔を見て「ああ、あの曲を伝えてゆくことができる」と思ったのだが、肝心の太鼓がみんな流されてしまったというのだ。

高野山真言宗の協力を得て9月の末には太鼓を寄贈することができ、エグザイルや三味線の吉田兄弟など、慰問に訪れるミュージシャンたちとのコラボレーションに使ってもらうことができた。「こんなことがあった後だから、最初は太鼓をたたいてよいのか戸惑ったが、打ってみると涙が流れてきて、止まっていた時間が流れ出したような気がした」という感想を語ってくれた隊員さんがいた。

昨年、その太鼓隊の皆さんが開創1200年記念でにぎわう高野山を訪れて災害物故者追悼法会で「津波復興太鼓」の奉納演奏をしてくださった。「一生の思い出になりました」と話してくれた彼らの姿が忘れられない。

海を見つめながら

海を望む高台に設置された避難所で静かで美しい海を見つめていた時のこと、「あの時も、次の朝はこんなふうにきれいな海だった。あんなことがあったのに、次の朝はこんなふうに静かで……」と話しかけてきてくれる人がいた。そのギャップの中で、多くのものを失ってしまった。「いつもはこんなふうにきれいで静かで恵みをくれる海が、あんなふうに牙をむくことがある……」。ほぼ半世紀に一度くらい大きな津波に襲われるこの地の人々は、そんな海と一緒に暮らしてきたのだ。「津波てんでんこ」という言葉は1990年の津波サミットにおける造語だというが、こうした環境を生き抜いてきた人々の悲しみに裏打ちされた生きるための智慧が込められているように感じられた。

海を見つめながら、ふと沖縄のひめゆり平和祈念資料館の語り部さんが語ってくれた、死体の打ち寄せられた沖縄戦時の海辺の情景を思い出した。彼女は、それからしばらくのあいだあんなに好きだった海を見たいとは思えなかったという。日本が第2次世界大戦後の復興過程でやり残してきたものがある。今回の東日本大震災の復興は、それをやり直すための最後のチャンスなのかもしれない。そんな思いが心をよぎって、長期的な視点から復興支援に関わることの必要性を身に染みて感じた。

支援の心得

私は発災直後から複雑性悲嘆の研究者らとともにJapan Disaster Grief Support プロジェクト(以下JDGS)の立ち上げに加わり、インターネットによる情報提供を中心として「被災地の外部から被災者を支援する皆様に」というリーフレットを作成・配布して「しないほうが良いこと」や「気をつけてほしいこと」に関する諸注意を促すなどの活動を始めていた。これは、一般的な善意によって被災した人を傷つけてしまうことがあるという過去の学びを生かすための試みであった。読んだ人たちからは「日常生活においても心がけた方がよいことだと思った」などの感想を頂いたが、実際に被災地を訪問して目の当たりにした状況は現実感を失いそうになってしまうほど衝撃的なものであった。

複雑性悲嘆

複雑性悲嘆とは、突然の予期せぬ死や遺体の損傷や行方不明などにより、一般的な悲嘆より複雑化・長期化して専門的治療を必要とする悲しみをいう。一般的な悲しみの複雑さは親しい関係性における愛憎などのアンビバレンスによるものであるが、複雑性悲嘆においては悲しみを自覚・表現できないことにより緊張が身体症状となり、自己存在が蝕まれてゆくような感覚を生じさせる。

複雑性悲嘆は、うつ病やPTSDとの重なり合いの中で理解されるべきものである。うつ病は攻撃性が内攻して自我感情が低下することによって引き起こされ、PTSDは恐怖と無力感によって自我機能が障害されてフラッシュバックや回避や過覚醒が引き起こされ世界観も変化してしまう。悲しみが複雑化すると、心はこのように揺れ動きながら苦悩するのだ。

また、PTSDの治療が終わってからでなければ死別体験や悲嘆のケアに移ることはできない。悲しむ時に思い出さなければならない情景が、恐怖のあまり凍り付いてしまっていて思い出せないからである。こうした情報は、つらい体験をして救いを求める人々に接する機会の多い宗教者も知っていた方がよいであろう。

サイコロジカル・ファーストエイド

JDGSでは認知行動療法による複雑性悲嘆の治療研究の第一人者であるM・K・シア博士を招いて研修会を開いた。認知行動療法はそれなりの構造と場を必要とする。傷痕の生々しい被災地を歩いてみると、しっかりとした治療構造と場を確保する余裕のない現場における適用の限界を感じさせられた。

混乱した修羅場では、誰でもが持ち運べるように身に着けておける技のようなもの、その人の器や人格の一部になってしまっているメタスキルのようなものが役に立つ。刻々と変化するニーズに応じて様々な対応をする中で、何をしていたとしても、その行為に込めた心づかいの中にこそ心のケアの要素があるのだ。

その意味で『災害時のこころのケア:サイコロジカル・ファーストエイド実施の手引き』の出版は時宜にかなったものであった。衝撃直後の緊急時に、カウンセリングではなく、情緒的な支援を提供するために必要なことがわかりやすく書かれているからである。

あいまいな喪失

津波被害では1万6千人近くの死者と多くの行方不明者が出、今でも行方がわからない人の数は2500人を超える。その家族への支援の在り方を模索するためにJDGSでは「あいまいな喪失」の治療・研究の第一人者であるP・ボス博士を招いて研修会を開いた。

あいまいな喪失には、心理的にはまだ存在しているが身体的には不在になってしまった「さよならのない別れ」と、身体的にはまだ存在しているが心理的には不在になってしまった「別れのないさよなら」の二つのタイプがある。今回の津波による行方不明や放射能汚染による避難から生じる家族の離散などは「さよならのない別れ」であり、認知症や家庭内別居やワーカホリックなどは「別れのないさよなら」に分類される。

あいまいな喪失を癒やしてゆくためのガイドラインとして、ボス博士は次の六つの方針を示した。

1.「Aでもあり、Bでもある」という人生の眺め方を学び、自分を責めすぎずに人生を思い返せるようになり、人生の意味を見いだせるようにする。

2.人生を管理しなければならないという観念を和らげる。

3.愛憎など相反する両極端の感情が併存するのは人間として普通のことなのだと、アンビバレントな感情をノーマライズする。

4.失ったものを悼み、残されたものを祝することなどによって、心の家族と思えるような新しい愛着の形を見いだす。

5.「私は誰か?」「家族とは何か?」を再考して、アイデンティティーを再構築する。

6.不条理を笑い、答えのない問いを受けとめることで希望を見いだせるようにする。

こうしたアプローチは自分というものへのこだわりを緩めて宗教心やスピリチュアリティーを涵養してゆくことにつながる。また、次第に増えつつある認知症ケアに携わる家族を支援するためにも、「別れのないさよなら」という概念によって家族が疲弊してしまう原因を理解しておくことは必須であろう。私自身の個人的な体験からも、仏教における空や無我の実践的な理解が認知症ケアにかかわる家族の苦悩を和らげるために役立つことを感じている。

遺体への心配り

映画『遺体』は石井光太のルポルタージュが原作だが、遺体安置所という人目につかない場所で、ご遺体とご遺族にどのように接することが癒やしにつながるかについて描いた作品である。映画のモデルとなった千葉氏を大学に招いてお話を伺ったのだが、日常では向かい合うことの少なくなってしまった死に対して、どのように向かい合ってゆくことが命を大切にすることになるのかについて多くのことを教えて頂いた。

大量死時代を迎え葬儀も簡素化する傾向の中で、どのように死にゆくプロセスと向き合い、大切な人を亡くした悲しみを丁寧に感じきっていくことが思いやりのある社会を作ることにつながるのか。仏教者として教えの本質に立ち返る実践が試されるであろう。