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伝統仏教寺院の世代交代 ― 2030年のシナリオから見えるもの

「未来の住職塾」塾長 松本紹圭氏

2016年1月1日付 中外日報(論)

まつもと・しょうけい氏=1979年、北海道生まれ。一般社団法人お寺の未来理事。東京大文学部哲学科卒。浄土真宗本願寺派光明寺僧侶。世界経済フォーラム、ヤング・グローバル・リーダー。MBA(経営学修士)取得後、超宗派のお寺運営塾「未来の住職塾」を開講。これまで350人を超える卒業生が誕生し、全国で活発な活動を展開している。近著に『お寺の教科書』(徳間書店)。

「寺報もあの頃はまだ紙で発行していたのか」

2030年1月。私は昨年末に葬儀を済ませた先代住職の遺品から、ちょうど15年前、15年発行の寺報を見つけた。今は本や新聞はもちろん、寺報でさえ電子ペーパー上に文字・動画・音声のデータが流れてくる時代だ。久しぶりに見る紙メディアに懐かしさを覚え、寺報をめくった。

檀家……! 時代を感じる言葉だ。15年ほど前から、かつての「檀家制度」が急速に崩れ始めた。その原因は経済の停滞、少子高齢化、家族の紐帯の弱まりなどいくつかある。

高度経済成長期の一億総中流時代には守ることが当然とされた先祖代々の墓は、「永代供養」という名の下にどんどん放棄されていった。超高齢社会の今、高齢者は人口の3割を超え、現役世代1・7人で1人の高齢者を支えている。

日本の国際競争力は低下し、米国と肩を並べる大国となった中国は言うに及ばず、インドにも8年前にGDPで追い抜かれた。「豊かな国」だった日本は、今やアジアの小国のひとつに過ぎない。

国内の経済格差も拡大するばかりで、中流以下の一般家庭にはもはや先祖を顧みる余裕などない。単身世帯が4割まで増えた今、先祖どころか家族すら顧みられなくなっている。いまだ「檀家」として累代墓を守ることに熱心なのは、ほんの一握りの勝ち組クラスだけだ。

葬儀で僧侶が導師として読経することも本当に珍しくなった。亡くなると早々に火葬を済ませ、故人に関わりのある人が集まってホテルやレストランで小さなお別れ会を開くのが一般的。「家族葬」もとっくに死語となった。

とはいえ、僧侶の出番はゼロではない。宗教者として故人と生前から交流を持ち、終末から臨終に際して故人に寄り添い看取った僧侶は、故人を偲ぶ客人として遺族から招かれる。

たまに依頼があれば読経や法話をすることもあるが、基本的には一参列者。自動運転車のおかげで、食事の席での飲みニケーションも復活の兆しだ。僧侶の役目はかつての儀礼偏重から、宗教者としてのケアの領域へとシフトした。

そのことが強く感じられるのは、葬儀より法事かもしれない。地域コミュニティーを支えていた地縁・血縁の基盤が完全に崩壊し、先祖への畏敬の念はすっかり薄れ、かつて仏事の慣習を保った「親戚や近所の手前」「やらないと具合が悪い」などの理由も今は成り立たない。

法事は「やらねばならないもの」から、「やったほうがいいもの」へ、そして「やりたい人がやるもの」へと変わった。法事の実施率はここ15年で4分の1以下に激減。その一方で「やりたい人がやる」法事には、形式だけでなく意味と質が求められるようになった。

故人と遺族に寄り添う「生死の専門職」として研鑽を積んだ僧侶が勤める法事と一連のケアは、社会的に高い評価を得つつある。かつての月参りは、月に1度の在宅宗教ケアサービスにその名残を留めている。

寺報のページをめくると、一枚の写真が目に飛び込んできた。「境内清掃、収穫を終えた檀家の皆様と共に」との説明書きに、時の流れを感じる。この15年で農業はすっかり変わった。人工知能とバイオテクノロジーが目覚ましい発展を遂げ、農作業の大部分を無人ロボットが行うようになり、農業は今や理科系の技術専門職だ。

みかん畑では空中を飛び回る無数の無人ドローンが農薬の散布から収穫まで自動で行うし、レタスは完全無菌のバイオ工場で大量生産されている。お寺の境内清掃も、今は屋内・屋外のほとんどを清掃ロボットが担う。

かつて消滅可能性都市に指定された地域も住民がゼロになったわけではない。高速通信網の発達や無人配送ロボットによる物流革命により、ネットワーク環境さえあれば仕事の場所を選ばなくなった高学歴の若者が、自然を求めて都会から移住してくるケースもある。

問題は都市であれ地方であれ、変化から取り残された人たちの失業率の高さだ。労働力人口は少子高齢化の影響により15年で800万人減少。にもかかわらず、ニートの若者は60万人から70万人に増加した。運転手・農家・通訳・レジ係・配達員・コールセンター・経理・窓口担当・外回り営業など、技術革新によってここ数年で消滅した職業も少なくない。僧侶も読経専門職としては消滅の危機に瀕している。

以前から「お寺が減る」と言われてきたが、大幅に減ったのは僧侶だ。仏教に興味を持つ一般人は増えているが、いわゆる専業で生計を立てられる僧侶の数はかつての3分の1以下となった。

新時代の宗教者として研鑽を積んだ僧侶がリニアモーターカーで全国を股にかけて活躍する一方、変化に対応できなかった読経専門の僧侶は価格競争でしのぎを削る派遣企業の契約社員となり、縮小する儀礼市場で小さなパイを奪い合っている。他には、マインドフルネスと瞑想実践の指導を行う僧侶や、お寺の地域コンテンツを活かして宿坊&文化体験を提供する事業家僧侶などが、例外的に存在する。

数少ない住職常駐のお寺でも兼業率が高まり、世襲の要望も小さくなった。その結果、宗門大学へ進学する寺院子弟が減少。大学院のみに縮小したり、運営が廃止となった宗門大学もある。

求められるスキルや知識の専門性の高まりにより、お寺の運営形態もかつての家族経営型から、地域の複数カ寺を舞台に高度なサービスを提供する専門チーム型に変わってきた。結果、淘汰の中で生き残ったお寺の公益法人としての信頼性が高まり、社会貢献意識に基づく寄付の対象としてNPOと同列に認知され始めている。

かつて死者と生者を媒介する役割を一手に引き受けたお寺。しかし、様々な技術的進歩によって、亡き人を偲ぶ手段・装置も大きく多様化・高度化を遂げている。脳とインターネットが直接つながる世界で、お骨が唯一の記憶のメディアではあり得ない。ご祈祷よりも人工知能の判断に頼る人のほうが多い時代だ。死とは何か。人間とは何か。今、僧侶の本質が根本から問われている。

***

今年は浄土真宗本願寺派で大谷光淳門主の伝灯奉告法要が営まれる。伝統仏教寺院の世代交代というテーマにおいて最も大きな課題は、ずばり、寺院関係者の未来への想像力の欠如だと思う。そこで試みに、本稿ではある寺院の後継者が30年から現在を振り返るシナリオを描いた。あくまで私見だが、未来予測に関する各種資料を参考にしたので、描写は稚拙でも内容は荒唐無稽ではないはずだ。

未来は誰にも予知できないが、予測はできる。現在すでに明らかな事実を基に複数のシナリオを描き、来るべき未来へ万全の備えを施すことは、寺院の護持発展に責任を持つ住職の重要な役目だ。未来の住職塾でも、多様なシナリオのケーススタディーから混沌とした時代の変化を的確に捉え、お寺を次世代に確実につなぐ羅針盤となる寺業計画を策定し、志を同じくする仲間と共にその実現に向け推進している。ぜひ読者の皆様にも、自坊の未来のシナリオを具体的に描いていただきたい。

最後に、南直哉老師(青森県・曹洞宗恐山菩提寺院代)が当塾に寄せてくださったメッセージを引用し、結びとする。

「住職」がテーマの塾であるということは、いわゆる「伝統教団」に関係する人々が主たる塾の対象者であろう。

ならば、申し上げる。

「伝統」はともかく「前例」に従う限り、「教団」にも「住職」にも「未来」はない。これからは、今まで何をしてきたかが問題なのではなく、前人未到の領域(人口減と経済縮小、でなければ移民による多民族社会)に住職としてトライ・アンド・エラーで分け入っていく勇気と忍耐こそが必要だろう。未来の住職塾は、その「試行錯誤」の「試」として重要な意義があると、私は思う。

それにつけても言いたいのは、「住職」である以前に、自分が「僧侶」であり「仏教者」であることの意味を根底から問い直す作業が、今後不可欠だということである。僧侶だから住職にもなれるのであって、住職になるために僧侶になってはならない。少なくとも「未来」は。