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現代医学から見た真言宗の臨終行儀

真言宗豊山派西明寺住職 田中雅博氏

2015年10月21日付 中外日報(論)

たなか・まさひろ氏=1946年、栃木県生まれ。慈恵医大卒業後、国立がんセンター研究所内分泌治療研究室長と病院内科医師を併任。大正大大学院博士課程単位取得退学。西明寺境内に普門院診療所や介護老人保健施設、グループホーム、通所介護事業所などを建設。がん患者の治療とともにスピリチュアル・ペインにも向き合っている。
◎治癒が望めない進行膵臓がん

私は昨年10月に膵臓がんが見つかりステージⅣbと診断されました。膵臓がんの統計ではステージⅣbで生存期間の中央値は6カ月です。明らかな肝臓転移が無かったので手術可能とのことでした。進行した膵臓がんでは手術を受けても高頻度で再発し通常治癒は望めません。しかし、栃木県立がんセンターでの膵臓がんステージⅣbの手術成績は良好で術後生存期間の中央値が約1年でした。

手術を受ける価値があると判断し手術をして頂きました。その後、術後補助療法としてティーエスワンという抗がん剤を6カ月内服しました。この時点で最も有効と考えられた治療でしたが、私の場合は効果なく肝臓に転移が出現しました。そこでアブラキサンとジェムザールという2種類の抗がん剤を併用する治療を受けています。

◎科学と古典研究

古典の良い所は非科学の部分にあります。科学に非ざる部分というのは反証不可能な部分です。反証可能性は科学であるための条件であり、かつ科学の限界です。

例えば『一期大要秘密集』の初めに「往生」という言葉が出てきますが、これは反証不可能な概念です。死んだ後に別世界に目覚めるかどうかを、この世での実験や観測でテストすることはできません。これとは違って、生きている時間を延長する方法は反証可能です。「身命を惜しむべき用心門」で如何にして延命するかは、人体実験でテストすることが可能です。

祖師の言葉の中には反証可能な事も含まれています。それらが反証されたなら捨てるのは弟子の務めでもあります。反証された部分を捨てて残った部分にこそ祖師の言葉の価値があるのです。

◎身命を惜しむべき用心門

お釈迦様が説かれた四諦によれば仏教は欲愛と有愛と無有愛の制御であり、「身命を惜しむべき用心門」は無有愛の制御、すなわち「死にたい」という渇愛の制御に当たります。延命可能であれば延命するということであり、このための方法は反証可能なので科学の領域です。

人間に関する科学では、人間を対象とした実験と観測が不可欠です。過去には非人道的な人体実験も行われました。ジェンナーは、東洋で古くから行われていた種痘の薬害を減らす目的で、使用人として雇っていた孤児に人体実験を行いました。サラ・ネルメスという乳搾りの娘から牛痘に罹った人は天然痘にならないと聞いて、彼女の手に出来た牛痘病変の膿を8歳のジェームス・フィップスに接種し、その後で死亡率3割以上の危険な天然痘を感染させたのです。

1964年にヘルシンキ宣言が行われ「社会や科学のためよりも、被験者の利益を優先する」という原則ができました。「人体実験」の代わりに「臨床試験」という言葉が使われるようになりましたが、人間を対象として実験と観測をすることに変わりはありません。

◎証拠に基づく医療

「証拠に基づく医療」というときの「証拠」は臨床試験の結果です。一つの臨床試験よりも複数の臨床試験で有効性が認められていれば、より確実な証拠となります。新しい治療法は現在最良の治療法と比較します。実験計画の全ての情報を倫理委員会(IRB)に提出して審査を受けます。一人の委員でも反対すれば倫理審査は通らず、その臨床試験は行えません。

私も昨年度まで20年ほど栃木県立がんセンターのIRBで外部委員をしていました。IRBでは科学的ならびに倫理的な審査を行い、施設外からも委員が参加していることが必須とされています。

◎倫理審査も論文審査も受けていないのが民間療法

私が治癒不能な病気だと知って、数人の方が民間療法を勧めてきました。人に勧めるからには証拠が必要です。「この治療法には科学がまだ追いついていないのです」などと無責任なことを言った人がいました。その人こそが、同じ科学の土俵に乗って、その治療法が良いという証拠を出すべきなのです。実験計画書をIRBに提出し、一人の反対もなく承認され、結果を論文として提出し、論文審査に通って医学誌に載ったなら、その治療法は現代医学として世界中の患者が受けられることになります。民間療法は、科学的倫理的審査を受けずに人体実験をしているのと同じなのです。

民間療法の宣伝には、「この治療法で私は良くなりました」というような事例紹介が多く見られます。どんなに治った例があっても、その治療法が良いという証拠にはなりません。治らなかった例、有害であった例がどれだけあったか等も重要なのです。

◎身命を惜しまざる用心門

生きられる時間の長さだけでなく質的内容(QOL)が重要です。緩和ケアとは「死を避けられない病人とその家族のQOLを高める方便(アプローチ)」と世界保健機関(WHO)が定義しています。身体、情緒、社会、ならびに命の四つの次元での苦痛緩和が行われます。特に命の苦(スピリチュアル・ペイン)は他の動物には無い人間独自の苦です。「死ぬのが怖い」「死にたくない」という苦であり、この苦の緩和に役立つものがあったなら、それこそが本人の宗教です。

世界医師会「患者の権利宣言(リスボン宣言)」には、「患者は、患者自身が選んだ宗教の聖職者による支援を含めて、宗教的および倫理的慰安を受ける権利を有し、またこれを辞退する権利も有する」とあります。患者本人が所属する宗教、例えば寺の僧侶等に慰安に来てもらうのも良いでしょう。西洋では病院に命の苦を緩和する担当者(スピリチュアル・ケアワーカー)の配置義務があるのですが、日本ではありません。最近、日本でも臨床仏教師や臨床宗教師が育てられています。スピリチュアル・ケアワーカーは、患者の話を傾聴し、ケアワーカー自身の宗教を布教せず、患者自身のあらゆる宗教に対応し、無宗教にも対応することを原則としています。この対応は自己執着を空にする般若心経に共通するものです。

◎般若心経はスピリチュアルケアの経典

般若心経は「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空」と始まります。観自在菩薩がヨーガの行をしています。お釈迦様以来、仏教ヨーガの特徴は単なる「止」に止まらず「観」を行うことです。そして、般若心経で止(三昧)に至って観るのは「般若」という知恵の「波羅蜜多」すなわち完成です。「波羅蜜多」は詩的に「到彼岸」と漢訳されました。これはお釈迦様が説かれた「筏の譬喩」に基づく解釈です。

「我に執着しない」という智慧の完成を彼岸に渡る筏に喩えました。筏は仏教を示す隠喩です。彼岸に渡ったら筏(仏教)を捨てる。すなわち、自己執着を捨てる仏教は仏教自身に執着しない。お釈迦様が説かれた苦集滅道にも執着しない。これが般若波羅蜜多であり、このとき五蘊皆空となります。

五蘊はお釈迦様が説かれた苦諦のまとめであり、我執の要素の集合です。知恵の完成では「我」という執着が空っぽに成る。完全に「我」に執着しない人は、「自分が死ぬという苦」(スピリチュアル・ペイン)を乗り越えて涅槃の彼岸に渡る。般若心経の後に続く部分も全て「般若波羅蜜多において」すなわち「ヨーガの智慧が完成した状態において」であり、この世の通常の話ではありません。

このような般若心経の解説書を出版できたことは非常に有り難いことです。そしてさらにうれしいことが続いています。これまで雑誌や学会誌等に私が書いた原稿をまとめて1冊の単行本にするという話です。高野山大学の山口幸照先生の提案で阿吽社から出版して頂けることになりました。

◎尊厳有る死と緩和ケア

「尊厳有る死」という言葉はホスピス運動の創始者シシリー・ソンダースによって「死にゆく人が本人の人生に価値を見いだすこと」と定義されています。「尊厳有る死」を実現するためにスピリチュアル・ケアワーカーが患者の言葉を傾聴するのが緩和ケアの真髄です。

私の場合には幸いなことに、私の言葉に耳を傾けてくれる人が沢山いてくれます。この文章の読者にも感謝申し上げます。お陰様で、私は人生の最後の時期を幸せに過ごせています。