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日本人の「列島的宗教性」 ― 豊かな風土が生んだ「多神教」

思想家・凱風館館長 内田樹氏

2015年10月16日付 中外日報(論)

うちだ・たつる氏=1950年、東京都生まれ。東京大文学部仏文科卒業。東京都立大大学院人文研究科博士課程中退。神戸女学院大名誉教授。思想家、武道家、翻訳家。『日本辺境論』『呪いの時代』『街場の戦争論』など著書多数。

ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教という3種の一神教と日本の宗教の違いはどこにあるのかということをこのところ考えている。直接には、イスラーム学者の中田考先生からムスリムの生活倫理としての「歓待」と「喜捨」についてご教示頂いたことがきっかけである。

ムスリムの国では、タクシーの運転手がペットボトルから水を飲んでいるのを乗客がじっと見ていると、「飲むか?」と振り返ってペットボトルを差し出すそうである。それは別に彼の例外的な善意や愛他主義によるのではなく、そういうふるまいが生活規範として人々のうちに深く身体化しているからだと中田先生は言われる。飢えたもの、渇いたもの、病み、疲れたものに対しては無条件での歓待と喜捨がなされねばならない。それがイスラームの教えである(その教えはタクシー運転手が客から運賃をぼったくることは必ずしも妨げない)。

「歓待と喜捨」の倫理は三つの一神教にどれにも共通するものであるけれど、それは一神教が生まれたのが中東の不毛の荒野だったことに深いところでつながっていると私は思う。

一神教はいずれも「寡婦、孤児、異邦人」に対して無条件の歓待を命じる。それはおそらく、苛烈な自然の中で暮らす遊牧民たちにとって、保護者も仲間もいない状態で異邦をさまようことは実際に身に起こる蓋然性の高いリスクだったからであろう。飢え、渇き、疲弊し果ててようやくオアシスの幕屋を見つけて一夜の宿を求めたとき、旅人を歓待するかどうかが幕屋の主の善意の存否によって決すということでは旅人は困る。ことは命にかかわる。だから、荒野の遊牧民は歓待されることを前提に暮らせるように生活規範を構築した。歓待は善意の過剰によってではなく、日常生活の「当然」でなければならない。それは歓待の有無が生き死にに直接かかわる生活を彼らが送ってきたからである。

翻ってわが国はどうか。「歓待と喜捨」は本邦では例外的美徳である。現に、それはいずれも漢語であって、同義の適当な「やまとことば」を私は知らない。

「一見さんお断り」

能の曲の多くは旅の僧が見知らぬ土地で一夜の宿を借りるところから始まる。その中で、一夜の宿を乞うたときに宿主が「どうぞ」と即答するという物語は私が知る限り一つも存在しない。旅人は必ず門前払いを食う。「あまりに見苦しく候程に、お宿は叶い候まじ」と断られる。

『鉢木』では主人は大雪で行き暮れている旅人を吹雪の中に追い返しさえする。もちろん、いずれの曲でもその後に宿の主はのちに翻意して一夜の宿を提供する(そうでなければ能の物語は始まらない)。

だが、それにしても「一見さんお断り」が日本の場合はデフォルトなのである。能を見始めてしばらくして、そのことに気づいた。「なぜ日本では『原則歓待』ではなく『原則お断り』なのだろう」。「おもてなし」とか言っているが、全然違うではないか。

別に中東の一神教徒がとりわけ情に厚く、日本列島の住民が非人情だとは思われない。違う理由はおそらく別のところにある。

日本列島の自然環境は人間にきわめて親和的である。温帯モンスーンの温暖湿潤なこの列島は深い照葉樹林に覆われ、水が豊かで、植物相・動物相が多様である。中東の荒野とは自然環境が決定的に違う。それがおそらく歓待の切実さの違いになって出てくるのではあるまいか。一夜の宿を断られても「行き暮れて木の下蔭を宿とせば 花や今宵の主ならまし」と一首詠ずるほどの余裕が列島住民にはあったということである。これと同じ雅趣の詩歌が果たして一神教の発祥の地に伝えられているかどうか私は詳らかにしない。

贈与に感謝の儀礼

人間に対してフレンドリーな自然、母性的な大きな包容力を持つ自然の中で生きてきたことは日本人の宗教性に決定的な影響をもたらしたのではないかと私は考えている。列島住民たちは自分たちのことを、単一の神が設計図に基づいて計画的に創造した「被造物」であるというふうには考えなかった。それよりも、山河草木至るところに住まう天神地祇たちが気前よく贈与してくれる様々な天然の果実を享受する「被贈与者」として自己認識した。たぶんそうだと思う。だから、本邦における信仰は発生的には「贈与」を促す儀礼、「贈与」に感謝する儀礼というかたちを取った。そして、その贈与の多様性に応じて、感謝を示す儀礼も、その対象も変わった。漁撈の民は豊漁をもたらす「海の神」に感謝し、狩猟の民は獲物をもたらす「山の神」に感謝し、農耕の民は豊作をもたらす「地の神」に感謝する。風土の例外的な豊かさが列島的「多神教」を生み出したのではないか。私はそんなふうに考えている。

もう一つこの包容的自然がもたらしたものがある。「習合」というソリューションがそれである。

近年のDNA研究によって、日本列島には3回大きな移住者の流れがあったが、その三つの集団のすべてのDNAが現代人に伝えられていることがわかった。つまり、後から侵入した集団ともとからの原住民とは、互いに殺戮したり、敗者を列島外に放逐したりせず、おそらくは言語も宗教も食文化も生活習慣も違うままに共生し、血を混ぜ合わせたということである。

そういうことが列島史上2度あった。1度目はたぶん偶然である。見知らぬ小集団同士が出会ったときに「白黒をつけずに、折り合いをつける」という戦略がたまたま採用された。それが成功した。その成功体験があまりに劇的だったので、それが「種族の知恵」として集団的に継承されることになった。私はそんなふうに想像している。

外来の仏教も受容

先日スイスから来たジャーナリストに「日本の宗教の特殊性」を問われて、私は「神仏習合」と答えた。その答えの意味が彼にはうまく呑み込めなかったようである。もちろんヨーロッパにもミトラ教の聖堂跡にキリスト教の教会を建てた場所があったり、ケルトやゲルマンの儀礼をキリスト教の祭礼に仕立て直した例はあるけれど、修験道のように「ご神体」と「ご本尊」を二つ並べて、一方には祝詞を上げ、一方には読経するというような堂々たる2宗教の混淆は彼の地ではまず見ることがない。

おそらく6世紀に仏教が到来したときにも、列島住民たちは外来の体系的で論理的な宗教を採用して、土着の宗教を棄てるということをせず、両者を平和的に共存させようとしたのである。「習合」させればなんとかなるという種族の経験知をここにも適用したのである。

神社に初詣をし、キリスト教の教会で結婚式を挙げ、仏式で葬式を営む「ふつうの日本人」を「無神論者」とか「宗教的に節度がない」となじる人がいるが、それは話の筋目が違うと私は思う。これこそすぐれて日本的な信仰のかたちなのである。

峻厳な宗教的規範に律されなくても生きていけるくらいに穏やかで多産的な自然環境に恵まれ、「習合」を成功体験として種族的に記憶してきた人々がこのような信仰のかたちを選択したのは歴史的必然である。別に世界に向かって「私たちを見習え」と誇示する必要はないが、かといって「ローカルな信仰ですみません」と恥じ入ることもない。私たちの祖先はこのような信仰のかたちを選んだ。それを私は受け継ぎたいと思う。

私は朝は道場の神棚に一礼して般若心経を唱え、昼はユダヤ教の時間意識についての論文を書き、夜はイスラーム学者と中東情勢について語り合うというような生活をしている。自分のうちに列島的宗教性が息づいているのを私は感じる。