ニュース画像
多くの人が見守る中、彰義隊墓所で盛大に営まれた150回忌法要
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

今こそ菩提僊那の継承を ― 新しい座像、東大寺で公開

ミティラー美術館館長 長谷川時夫氏

2015年5月15日付 中外日報(論)

はせがわ・ときお氏=1948年、東京都生まれ。70年代に前衛音楽グループ「タージ・マハル旅行団」で活躍。82年、新潟県十日町市の廃校を利用してミティラー美術館を創設。日印文化交流の担い手として活躍し、「ナマステ・インディア」を世界最大級の国際交流イベントに育てる。NPO法人日印交流を盛り上げる会理事長。2007年、インド政府から日印交流年賞受賞ほか。著書に『宇宙の森へようこそ』(地湧社)。
天皇陛下も語った菩提僊那

日本に初めて来たとされるインド人で仏教僧の菩提僊那は、日印交流の先駆者として知られる。

天皇、皇后両陛下が、2年前に53年ぶりのインド公式訪問をされた。大統領主催の官邸での晩餐会で天皇陛下は菩提僊那について次のように述べられた。「貴国と我が国とは地理的に離れ、古い時代には両国の間で人々の交流はほとんどなかったように考えられます。しかし、貴国で成立した仏教は6世紀には朝鮮半島の百済から我が国に伝えられ、8世紀には奈良の都には幾つもの寺院が建立され、仏教に対する信仰は盛んになりました。8世紀には、はるばるインドから日本を訪れた僧菩提僊那が、孝謙天皇、聖武上皇、光明皇太后の見守る中で、奈良の大仏の開眼供養に開眼導師を務めたことが知られています。この時に大仏のお目を入れるために使われた筆は今なお正倉院の宝物の中に伝えられています」(宮内庁ホームページより)

菩提僊那について時代をさかのぼる記録は多くは残っていない。菩提僊那が滞在した大安寺(奈良市)で亡くなって10年後の770年、菩提僊那像の制作にあたっての弟子の修栄による讃『南天竺婆羅門僧正碑并序』があり、その行状が後代に伝えられた。その中に、菩提僊那が『華厳経』を読誦し、呪術に精通していたこと、阿弥陀浄土の信仰も持ち、また、如意輪観音をはじめとする密教の八大菩薩に対する信仰が深かったなどの記述も見いだされる。

説話集には菩提僊那が太宰府から平城京を目指して、難波の津へ到着した時、行基上人が僧100人を率いて迎えたというような交流が記されている。

当時の日本では書物を通してしか仏教に触れられなかった時代であり、天竺から来た僧の役割は、相当大きなものだった。大安寺は、奈良時代の四大寺の一つで、第九次遣唐使船の第二船の同船者の、中国僧道璿、林邑(ベトナム)僧仏哲、波斯(ペルシャ)国の李密翳なども滞在する国際センターとしての役割を担っていた。

菩提僊那は751年に行基(大僧正)に次ぐ僧正になる。翌年の752(天平勝宝4)年、東大寺の毘盧遮那仏開眼供養では、病弱であった聖武上皇に請われ代わりに開眼導師となる。聖武上皇、百官、1万人を超える僧が参列し、続日本紀にも「仏法東に帰りてより、斎会の儀、嘗て此の如き盛んなるは有らず」と書かれている。造像事業に参加した人は延べ260万人に達したと言われ、当時の人口のおよそ半分にあたった。

インド政府は菩提僊那の功績が日印の両国民にもっと知られるべきと、日印国交樹立60周年の2012年、太宰府上陸(736年)から1276年の時を経て東大寺で、講演・シンポジウムや古典舞踊奉納などの継承事業を行った。菩提僊那の名が両国の教科書に載るまで続けようと機運が高まり、以来、東大寺の協力を得て毎年開催されている。

日本各地で「インド祭」

日本とインドの交流は現代も年々盛んになっている。昨年、8月末から9月初めにかけインドのナレンドラ・モディ首相が就任後、主要国の中で初の訪問国として来日された。このモディ氏の来日を契機に、インド政府は昨年10月から日本各地で「インド祭」を行っている。

その目玉として今年3月から5月17日まで、東京国立博物館で特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」が開催中だ。コルカタ国立博物館は、アジアで最初の総合博物館で、特に仏教遺産に関しては世界的にも有名。その秀逸なコレクションが展示されている。展覧会は東博始まって以来の短い準備期間だった。インド文化省から在日インド大使館に話が来たのが昨年6月。東博の企画展は通常5年前から話が始まり、3年前から準備をスタートする。これまでの日印両国の国家催事でもインド政府から国宝級文物の展覧会の要請があったが、日本では準備期間が短すぎて開催できなかった。欧米諸国では、館長、学芸員の権限が強く、短期間での対応が可能だ。その意味で、今回の東京国立博物館の英断は革命とも言えるもので、感謝したインド関係者が精力的に動き、来館者が10万人を超える勢いだ。この催事は日印交流史上初めての本格的な仏教美術の展覧会として記録されることだろう。

インド人の顔立ちをした像を

この展覧会に合わせ、インド人の顔立ちをした菩提僊那像づくりの計画が立ち上がった。

菩提僊那継承事業にはまだ大勢ではないが、全国から学生や様々な職業の人々が集う。インド大使や大阪・神戸インド総領事、在日インド人も参加する。その方々が大安寺や、墓所のある霊山寺にも訪れることになる。各寺、それぞれ立派な菩提僊那像、御影が祀られている。かつて大安寺には、修栄が師の遺言に従って制作した菩提僊那僧正像や御影があったと伝わるが、いずれも灰燼に帰している。鎌倉初期に描かれた四聖御影(発願の聖武天皇、勧進行基菩薩、開山良弁僧正、開眼の菩提僊那の四聖が描かれている)の菩提僊那像はインド人を見て描かれたとは思えない。誰ともなくインド人の顔立ちをした菩提僊那像があるといいねという声が出てきた。

そこで、信仰の対象として大事にされてきた四聖御影の菩提僊那を20%ほど、DNAとして入れてもらい、各専門家からの意見を伺い、ワドワ駐日インド大使と話し合い、新たな菩提僊那像を制作した。

インド大使館の協力で仏教遺跡として知られるナーランダのナーランダ大学(インド政府が三蔵法師も滞在した当時の世界の中心としての大学をイメージして再現するという目的で建学した)のパンス副学長の紹介でデリーの3D仏像制作会社が高さ1メートル、重さ30キロの座像(砂岩タイプのグラスファイバー製)を制作し、4月末に日本に到着した。

継承事業はインド大使館、東大寺が共催し、菩提僊那が日本に到着した5月18日に東大寺中門でこの菩提僊那像を初公開し、インド政府派遣の南インド古典音楽の奉納公演を行う。

東大寺で公開後、インド政府派遣の音楽グループの公演とともに、かつての難波の津がある堺の市役所(同20日)、白隠禅師の寺として知られる静岡県沼津市の松蔭寺(同21日)で紹介する。インド大使館や2日間で20万人が来場する世界最大規模のインドフェスティバル「ナマステ・インディア」(9月26・27日、東京・代々木公園)の会場でも紹介していこうと思っている。

これまでの継承事業で、多くの若者が菩提僊那は旅のプロ、しかも命がけの旅をした人で、彼の伝えた仏教などが日本人の精神的基層となっていることを知った。インドとの未来志向の交流の中で仏教を通した精神文化の遺産を現代に生かしていくことは、日本人のアイデンティティーの新たな創造に貢献すると思える。若者にとってカッコイイ菩提僊那の果たす役割は大きいと考えられる。菩提僊那座像を全国津々浦々へインド文化と共にご紹介したい。

※菩提僊那の情報については、「大安寺菩提僊那千二百五十年御遠忌法要の栞」小島裕子記を参照しました。