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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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円空の祈りと現代仏教の救済 ― 相手の土俵に入り謙虚にケア

高野山大客員教授 大下大圓氏

2015年3月6日付 中外日報(論)

おおした・だいえん氏=1954年生まれ。高野山大仏教学科卒。京都大こころの未来研究センター研修員修了。高野山真言宗千光寺住職。日本スピリチュアルケア学会理事。大学教育の傍ら岐阜県高山市内の病院などで、スピリチュアルケアワーカーとして患者や家族の精神的ケアにも当たっている。著書に『実践的スピリチュアルケア』『ケアと対人援助に活かす瞑想療法』など。
1、福島での円空仏展から

現在、福島市の福島県立美術館で「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡」が開催されている(4月5日まで)。東日本大震災復興支援と犠牲者鎮魂を目的に、千光寺円空仏寺宝館所蔵と岐阜県高山市内の神社仏閣から、合わせて約100体の円空仏が福島へ出向いた。それは生涯に12万体の造仏誓願をして、東日本や北海道を巡った江戸時代の僧・円空(1632~95)の願いにも呼応している。

円空仏が一般の仏像と異なるのは、円空の思想や生き方を表現している点である。余分なものは一切彫らずに、木の中に仏を見て木のもつ生命を仏像という形に表現する。そこには「一切衆生悉有仏性」「草木国土悉皆成仏」などの日本人の心に潜在する精神性がある。一見完成していないような造形で、それを拝む人の心に、安心や慈愛、微笑を醸し出してくれるのが円空仏の魅力である。

2、日本人のスピリチュアリティ 基層思想から密教へ

円空は修験の僧でありながら諸教にも通じ、晩年は密法を受けて天台宗の住職として岐阜県関市の弥勒寺で終焉を迎える。若くして辺地を行脚しながら、貧困や干ばつで苦しむ農民のために祈り、ひたすら庶民の心の安寧を願った。それは、権威とは無縁のところで大地にへばりついてひたむきに生きようとする民との共生であった。

円空の体現する宗教観の根底には、縄文弥生から日本に脈々と連綿する基層思想がある。古代人は草木、動物といった自然物、自然現象、さらには人工物にも精霊が宿ると考え、生活には祭りを通じた祀りや祈りがあった。

こうした基層思想が神道や仏教と融合し、日本人独自の精神構造を作り出したといえる。しかし円空の思いは、樹の中に精霊や仏を感じるだけでなく、生きている在り方にいのちを感じること、現象にいのちを感じるいわば自然観的宗教観であり、宇宙性をそこに感じていたと思われる。

「作りおく 千々の御影の 神なれや 万代迄の 法のかげかも」(円空作)

ここに密教的な曼荼羅の教えをうかがい知ることができる。つまり、人々が形として確認できる可視的な仏像を樹に刻む。やがてその背後に、不可視的な仏としての法身仏を観ずる。それは瑜伽の瞑想的な境地に他ならない。それを自覚したものはダルマ(法)という根源的ないのちとの統合を果たし、法身説法としての大自然、宇宙のことばを空や海、森の中で感得するのである。円空はこの覚りの境地を目指したのに違いない。日本人が希求したスピリチュアリティには、このような思考が潜んでいるのである。

3、現代のスピリチュアリティと臨床宗教

円空伝説では、幼き日に、愛する母を目前の水害で亡くしたと伝え、そのことが造仏のきっかけとされる。円空はやがて諸国を旅するうちに、同じような苦悩を背負って生きようとする人々に出会うこととなる。仏法の栄える浄土を描き、ひたすら暮らしの中にある鎮魂と救済を祈りながらの造仏の日々は、必死に生きんとする人々の生活とともにあると信じた。

多くの犠牲者を出した東北の被災地で厳しい環境の中でも必死に生きていこうとする人々の祈りは、円空の祈りと相関し、限りなく共鳴するのだ。

震災で家族を亡くした遺族の悲嘆ケアには、科学的支援(医療、福祉)だけでは満足せず、その家族や地域に根ざした宗教的儀礼が重要だとされる。筆者自身が、岩手、宮城に続き、福島県川内村や南相馬市などを訪問するご縁に遭遇し、被災者から直接多くの苦悩を聴かせていただいている。特に川内村では、講話や音楽療法、呼吸法、瞑想などを実施してきた。そんな村人との心の交流を通して、かつての東北の地を歩いた円空の生き方に共感するのである。

実際に筆者が被災した方との個人的な面談を重ねるうちに、どん底の苦難を味わいながらも、そこから立ち上がろうとする「生きる力、成長すること」を感ずることが少なくない。人には死と隣り合わせの苦しみを味わっても、そこから這い上がる人間力が備わっている。それを釈尊は「自灯明、法灯明」と教えた。

臨床宗教(スピリチュアルケア)とは、最初から布教や宗教的な作法や儀礼を目的とするのではなく、その人のスピリチュアルな苦悩をアセスメントし、その人の人生観、死生観を尊重して、慎重に関わるケアの在り方である。つまり相手の土俵に入り、生活の場で謙虚に心のケアをするのである。

円空は声高に仏教を語ったのではない。もがき苦悩する人々へ、手を差し伸べ、一緒に語り、必要であれば、そのあたりに転がる木々を用いて、簡単な仏像を造って手渡して祈った。病気で死の淵にある人々の枕辺で、「死ぬのは怖くない。光の浄土はもうすぐだ」と神仏の形を見せて、安心を伝えた円空の、そのちょっとした心配りは、まさに生活仏教であり、臨床宗教なのだ。

ホスピスや緩和ケアのプログラムの一つとして提唱されはじめたスピリチュアルケアという概念は、今は「エンド・オブ・ライフケア」という人の人生を集大成する過程の文脈で語られることが多くなった。また終末期だけでなく、救急や出産、介護の現場でもスピリチュアルケアは要請されている。そして今回の震災のような、突然の精神的危機の対応にも必要とされている。

またそういった専門職の養成を目指す諸機関の総意として「日本スピリチュアルケア学会(理事長=日野原重明)」が結成され、学際的な視点から日本での専門的なたましいのケアのしくみや援助法などが検討され、研究を深めている。

さらに後押しをするかのように、震災以後に始まった東北大の実践宗教学寄附講座では「臨床宗教師の育成」に乗り出し、他の宗教系の大学にも臨床宗教教育が準備される傾向にある。公共空間での心のケアをする宗教家の役割が徐々に社会に認められるようになってきたともいえる。

高野山大大学院においても、2015年9月から東京都内で臨床宗教教養講座のサテライト校を開設する。関東圏で宗教者の臨床における社会的実践家を育てることが決定した。宗教家だけでなくスピリチュアルケアや臨床宗教に関心のある社会人を対象にしたキャリアコースの大学院である。

4、臨床宗教師の役割と課題

医療や福祉介護現場で、スピリチュアルケアの専門家や臨床宗教師がチームに参画することが求められる時代が到来している。まだまだ実践の報告は少ないが、専門職協働(Inter professional work)の理念においても役割がある。

チーム医療の日本的解釈は、1300年前の聖徳太子が提唱した「龢(和)」の精神にその由来を尋ねることができる。筆者の実践的な試みとして2012年から、川内村から委託された役場職員、仮設住宅住民などへのスピリチュアルケア活動は、震災後の支援のあり方に一石を投ずる。またJR福知山線脱線事故の遺族ケア活動や、京都音羽病院での「医師、看護師、医療社会福祉士のための死生観・スピリチュアルケア教育」などが具体的な動きである。

これらのことから、「①医学看護系大学と宗教系大学との連携(あたらしい日本的死生観・スピリチュアルケア教育の研究と推進)②医療、福祉機関と臨床宗教師との連携(医師、看護師、スタッフの死生観などのリカレント教育)③宗教系大学の臨床宗教師養成(公共と連携できる資質をもった宗教家の育成)」などを提案したい。今後はこれまでの宗派内に限定されていた宗教教育活動が、臨床宗教のネットワークによって公共的な機能をもつ「ソーシャル・キャピタル(社会資源)」として、日本の福祉社会に貢献するものと期待したい。

今後の臨床宗教師の養成は、宗旨や宗派を超えたネットワーク化をはかり、やがて国の施策や公共性の在り方に関与していくことの必要性が求められている。