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「カッコいい大人」育てる社会へ ― チャレンジできる環境を

ふくしま学びのネットワーク事務局長 前川直哉氏

2015年2月20日付 中外日報(論)

まえかわ・なおや氏=1977年、兵庫県生まれ。東京大教育学部卒、京都大大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学。2014年まで、神戸市の灘中・高教諭(日本史)。同年4月から福島市に転居し、一般社団法人ふくしま学びのネットワーク理事・事務局長、東京大大学院経済学研究科特任研究員。

私は兵庫県尼崎市の出身で、昨春まで自分の母校でもある神戸市の私立灘中学校・高等学校(灘校)で日本史の教員をしていました。現在は福島市に転居し、福島の学校の先生方と緊密に連携しながら、子どもたちの学びをサポートする非営利団体「ふくしま学びのネットワーク」を立ち上げ、事務局長を務めています。

私が教育の道に進もうと考えたのは、高校3年生の時に経験した阪神・淡路大震災が一つのきっかけでした。

1995年1月17日、大学入試センター試験の2日後に起きた震災は、私の生まれ育った街と学校に大きな被害をもたらしました。実家の喫茶店は半壊し、学校の体育館ははじめご遺体の安置所に、その後は避難所になりました。当然、授業が行えるような状態ではありません。くちゃくちゃになってしまった街の中で、私は一時期、その年の大学入試をあきらめかけました。

そんな中、灘校の先生方は瓦礫をかきわけて必要な書類を捜し出し、私たちの大学受験を最大限に応援してくださいました。当時、担任の先生方が私たちにかけてくださった言葉が、今もとても印象に残っています。

「形あるものは、いずれ壊れる。街すらも、壊れてしまう。しかし、人が人に伝えたこと、人が学んだことは、どんなことがあっても壊れない。だから、今こそ学ぶんだ。君たちが学ぶことが、この街の復興につながる」

たくさんの方に支えていただき、私はその年の大学入試に合格することができました。そして担任の先生方の言葉に感銘を受けた私は、大学で教育学部に進学。教育関連の企業勤務と大学院生活を経て、2004年から母校の教壇に立つことになりました。

そんな経験をしている私ですから、11年に起きた東日本大震災は、全く他人事ではありませんでした。ようやく休みの取れた夏休み、同僚と2人で岩手県釜石市に泥かきのボランティアに伺った私は、津波被害の大きさに呆然とするとともに、なぜもっと早く来なかったのか、夏休み前に来ていれば生徒たちに「この夏休みはぜひ、東北に行ってお手伝いをしておいで」と言えたのに、と激しく後悔しました。

新学期、自分たちが夏休みにしてきたこと、見てきたことを授業で話すと、生徒たちは自分たちもぜひ、東北に行きたいと言ってくれました。

学校から災害ボランティアに行くのは全く初めての経験でしたが、12年の3月、第1回の東北訪問合宿を実施しました。夏・冬・春の長期休暇ごとに福島・宮城の被災地を訪れ、多くの方のお話を伺う「東北訪問合宿」は現在も続いており、今年1月までに13回、延べ200人以上の灘校生が参加しています。

ある時期から高校生の手でできるボランティアは少なくなり、「東北訪問合宿」を続けるべきか悩んだ時期がありました。私自身も阪神・淡路大震災の後、物見遊山のような気分で被災地を訪れる人がいると聞き、あまり良い印象は抱いていなかったためです。

そんなとき、現地で出会った多くの方々が「とにかく現地に来て、自分の目で見て、いろんな人の話を聞いてほしい。自分たちを忘れないでいてくれることが一番うれしい」とおっしゃるのを聞き、合宿を続けようと決意しました。

何より生徒たちは、東北の被災地で会った多くの方々からたくさんのことを学び、合宿で素晴らしい経験をしていました。

東北の被災地には、カッコいい大人がたくさんいます。自分たちの街を力強く復興させるため、懸命の努力を続ける現地の大人たち。震災と原発事故という未曾有の事態に立ち向かうため、全国から駆けつけた大人たち。

そうした大人たちの姿を見て、お話を聞くことは、灘校生にとって大きな刺激となりました。未来が不透明で、自分の将来像が描きにくい現代の高校生にとって、「こういう大人になりたい!」と思わせるロールモデルと出会う経験は、何物にも替えがたい学びの契機となっています。

そして私自身、東北で出会ったたくさんの「カッコいい大人」に魅了され、こういう人たちと一緒に働きたいと考え、福島に転居しました。

放射能に対する不安に悩まされる近隣の住民の皆さんのため、震災と原発事故の直後からボランティアによる除染を開始し、境内の裏山を線量の高い汚染土の仮置き場としておられる福島市・曹洞宗常円寺の阿部光裕ご住職。

同様に震災と原発事故の直後から、福島県相馬市・南相馬市に対する積極的な医療支援を行い、内部被ばくの調査を継続しておられる東大医科研の上昌広・特任教授と坪倉正治医師。教育によって福島を復興しようと、生徒たちのために積極的に動いておられる松村茂郎先生、高村泰広先生をはじめとする県内の高校の先生方。

灘校生による東北訪問合宿でこうした方々とお会いし、自分に何ができるか考えた上で出た結論が、灘校を辞めて福島で活動することでした。灘校は私にとってとても愛着のある学校で、辞めることに寂しさはありましたが、20年前の震災の時に頂いた恩師の言葉、そして「自分はこういうときのために教員になったのだ」という思いが決断を後押ししてくれました。

東北の「カッコいい大人」の共通点は、先例にとらわれずに思い切った行動を継続しておられる点です。難題が山積し閉塞感が漂う中、日本社会に蔓延する「安定」志向、「無難」なものをよしとする風潮は、ますますその色合いを強めています。

しかし、千年に1度と言われる大震災と、原発事故という未曾有の事態、そして人口減少に伴う近代始まって以来の大きな転換点にある今の日本において、「安定」や「現状維持」、そして「無難」な選択の積み重ねは、単なる「無作為」に堕してしまう可能性が高い。とりわけ、私たちが死んだ後にも残ってしまう大きな大きな課題に立ち向かわねばならない次の世代の若者たちのために、新たなチャレンジに積極的に取り組める環境だけは、最低限作り上げておかねばならないと、私は考えています。

そのために、私たちができることは二つ。まずは自分たちの世代で一つでも多くの課題を片付けておけるよう、最大限手を尽くすことです。「安定」志向に縛られず、リスクを取ってでも課題に果敢に挑む大人たちの背中を見ることで、子どもたち自身もどのように生きるべきかを考えてくれます。

そしてもう一つは、チャレンジをした結果、失敗した場合のセーフティーネットを整えておくことです。新たな挑戦に、失敗はつきもの。失敗した人を「それ見たことか」と突き放す社会では、誰もが臆病になってしまいます。たとえ成功しなくてもチャレンジを称え、なぜ失敗したのかを本人が反省し、改善した上で新たな挑戦に立ち上がるまでじっと見守る環境が用意されていてこそ、人々は思い切った行動をとれるのです。

これまでも時代の変わり目には、お寺や神社、教会が舞台になることがたくさんありました。ある時は先例にとらわれず、課題に立ち向かうプレイヤーとして。そしてまたある時は、チャレンジに失敗し再起に備えるプレイヤーを支えるサポーターとして。これからも宗教界の皆様が、行動する者の結節点となられ、行動する者を力強く支える基地となられることを、一人の市民として強く願っております。