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空海がもたらした曜日 ― 唐から『宿曜経』持ち帰る

京都情報大学院大教授 作花一志氏

2015年2月18日付 中外日報(論)

さっか・かずゆき氏=1943年生まれ。京都大大学院理学研究科博士課程修了(宇宙物理学専攻)。理学博士。専門は計算天文学。京都コンピュータ学院鴨川校校長を経て、2004年から現職。天文学の普及にも力を入れ、天文教育普及研究会編集委員長、NPO花山星空ネットワーク理事を務める。著書に『歴史を揺るがした星々』『天変の解読者たち』など。
曜日はいつから

日本人はいつから「日月火水木金土」という曜日を使っているのでしょうか? 明治になってから欧米にならった? 鎖国中にオランダ商人がもたらした? 戦国時代にやってきたキリシタン宣教師が伝えた?

いやそうではなく、もっと古くから曜日は使われていたのです。七曜はヨーロッパから伝わったのではなく、空海(774~835)が9世紀初めに唐から持ち帰ったもので、『宿曜経』という占星書に書かれています。経という名前がついていても仏典のお経ではなく、星占いのテキストブックです。インド生まれの僧、不空によって中国にもたらされました。これに基づく占いをする僧を宿曜師といい、『源氏物語』にも登場しますが、南北朝時代には姿を消してしまいます。

七曜は藤原時代には密教行事だけでなく、貴族間で広く使われていたようです。例えば、藤原道長自筆の日記『御堂関白記』には、長保六年二月十九日(1004年3月12日)に道長は、84歳の安倍晴明を伴って、新しく作る法華三昧堂の土地探しに木幡(京都府宇治市)に行きますが、その日は「癸酉の日曜日」ということが記されています。この日が日曜であることは、実際に計算して確認できます。

『御堂関白記』は陰陽師の作った「具注暦」という暦に道長自身が書き込んだもので、そこには干支・二十四節気・吉凶の占いはもちろん、日・月・火・水・木・金・土までが書いてあります。『宿曜経』にはまた白羊(おひつじ)、青牛(おうし)、陰陽(ふたご)、巨蟹(かに)、獅子(しし)、小女(おとめ)、秤量(てんびん)、蝎虫(さそり)、人馬(いて)、磨羯(やぎ)、宝瓶(みずがめ)、雙魚(うお)という十二宮も載っていて、これらを使って宿曜師は星占いをしていたようです。空海のもたらしたものは真言密教だけでなく、暦、占い、さらに土木技術、医薬知識までといわれ、本当に多彩な天才ですね。

鎌倉時代の史料として、承元四(1210)年および正和四(1315)年の「具注暦」が京都大学宇宙物理学教室図書室で見ることができます。日曜日に「密」という字が書かれているのはソグド語のミール(光、太陽、日曜を表す)に由来するものといわれています。また南北朝時代の康永四(1345)年の「仮名暦」は栃木県の荘厳寺に保存されています。江戸時代にはわが国初の暦を作った渋川春海(1639~1715)の署名のある貞享五(1688)年の具注暦、大和国だけで使われていた文化十(1813)年の「南都暦」などがあり、これらに記載されている曜日は全て現在の曜日に連続しています。

世界各国の曜日名

日本語では曜日の名前は天体名に由来しますが、英語では日曜・月曜・土曜は天体名、火曜から金曜までは北欧神話の神々の名がつけられています。Tuesdayは軍神ティルの日、Wednesdayは最高神オーディンの日、Thursdayは雷・農耕の神トールの日、Fridayは美と愛の女神フレイアの日であり、ドイツ・オランダ・ノルウェー・スウェーデン語など北欧では一般にそうです。

一方、フランス・スペイン・イタリア語などラテン系では日曜(主の日)と土曜(安息日)はキリスト教にちなむ名前で、他は天体名です。フランス語のlundi、mardi、mercredi、jeudi、vendrediはそれぞれ月ルナ(ダイアナ)、火星マルス、水星メルクリウス(マーキュリー)、木星ジュピター(ゼウス)、金星ビーナスに由来しています。中国やイスラム系諸国(インドネシアからアフリカまで)では一般に、1、2、3……と番号が付けられています。またスラブ系ではいろいろな要素が混入されています。全てに天体名を使っているのはインド・タイ・日本・韓国など東アジア諸国ですが、古代ギリシャがそうであることは興味深いですね。Helios、Selenes、Areos、Hermeos、Dios、Aphrodites、Kronosは太陽、月、火星、水星、木星、金星、土星の神であり、また天体を表します。

曜日がどこで初めて使われたか定説はないようですが、ヘレニズム時代に当時世界最大の都市であるアレキサンドリアで天体名として使われ始め、そこから各地に広まったといわれています。西方(ヨーロッパ)ではキリスト教その他、様々な宗教に影響され、何回か名前が変わりましたが、東方には原型のまま伝わり、東アジアでは今も日・月・5惑星の名前がそのまま残っています。中国はかつて日本や朝鮮と同じ天体名を使っていましたが(ただしあまり普及しなかった)20世紀になってから番号に変えたそうです。曜日の起こりは聖書の創世記の記述「神は6日でこの世を創造し7日目は休んだ」ことによると言われるのは後世の挿話のようです。

曜日の順序は?

では曜日の順序はどのように決められたのでしょうか?

7天体の明るい順ならば太陽、月の次に明るいのは金星ですから、日曜・月曜の次は金曜になるはず。では地球から近い順でしょうか?

その前に古代人はどうして7天体を特別視したのでしょうか? 太陽、月はともかく他の5天体が一般の星と違った運行をすることをどうして知ったのでしょうか? 実は長期間観測していれば容易にわかるものなのです。中国、メソポタミア、ギリシャでは少なくとも紀元前6世紀頃には「惑星」の概念はありました。ヘレニズム時代には距離はわからなくても遠近順は知られていました。これらの星々は決まった星座に属さず、天空を通常は東へ移っていきます。ふたご→しし→おとめ→……というふうに。時には逆行することもあります。惑星が天空を1周し元の位置に戻るまでの期間を回帰周期といい、月では約27日、太陽では1年、土星では約30年です。月と太陽のこの値は暦を作る時の基礎になっています。この数値が大きいほど運行が遅い、すなわち地球から遠いわけです。これらを近い順に並べると「月水金日火木土」となってしまいます。

そこで200年頃、ローマの元老院議員・執政官を勤めたカシウスが著わした『ローマ史』に、次のような興味ある記述があるそうです。7天体を遠い順に「土木火日金水月」と左から書き並べて24で改行します。この作業を何回か繰り返して、上から読んでみると、「日月火水木金土」の順になるというわけです。24と言う数の根拠は1日に24回守護神が変わることに由来することのようですが、よくわかりません。実は24でなくても7で割って3余る数なら何でもよく、最も簡単な数は10ですから実際に試してみてください。

現在、行政・企業・学校の諸行事、テレビの番組など私たちの生活の隅々まで曜日が基盤になっています。七曜と似たようなものとして、わが国には六曜(先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口)がありましたが、その決め方は旧暦に基づき非常に面倒で、また迷信と結びつきやすいのでカレンダーには記載されなくなっています。十二支(子、丑、寅……亥)は年には使われていますが、日では土用丑の日など特殊な日だけです。また旧体制を廃し、合理性を重視するとしてフランス革命の後に十曜制を含むフランス革命暦が、ロシア革命の後には五曜制を含むソビエト連邦暦が実施されましたが、不便であり、なじまないので、まもなく撤回されました。私たちの生活サイクルにはやはり7が最適のようです。