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廃仏毀釈、信仰守った先師偲ぶ(1/2ページ)

2016年12月16日付 中外日報(時事展描)

2017年は、徳川幕府の大政奉還(1867年)から150年の節目となる。奉還から半年も経過しないうちに、神道の国教化を目指す過程で神仏判然令が発布され、廃仏毀釈の動きが広がるなど、仏教界は大きな影響を受けた。来年は各地で、幕末に活躍した人物を振り返る記念行事などが予定されているが、時代に翻弄された先師らに、静かに思いを寄せる僧侶もいる。(丹治隆宏)

荒れた伽藍再興

吉水氏が亡くなって5年後、当時の浄土門主・福田行誡氏から中興開山号が贈られ、石碑が本堂に向かい合うように建てられた
吉水氏が亡くなって5年後、当時の浄土門主・福田行誡氏から中興開山号が贈られ、石碑が本堂に向かい合うように建てられた

三重県松阪市の浄土宗蓮浄寺の堤康雄住職(58)は、明治初期に同寺の住職を務めた吉水禅住氏を「悲しさもあっただろうが、僧侶冥利に尽きる一生だったのではないか」と偲ぶ。

蓮浄寺は1874年、住職後継をめぐる争いを背景として、寺檀関係が悪化。元紀州藩士で維新後に神職になった人物が地域に移住して神葬祭を広めたこともあり、離檀者が続出した。伽藍は荒れ、境内の観音堂は取り壊され、薪になった。

事態を憂慮した地元・松阪市の有力寺院・樹敬寺の住職らが、蓮浄寺再生に向けて白羽の矢を立てたのが、現在の三重県多気町の寺院で「閑居」していた吉水氏だった。

堤住職は1993年の晋山前後から吉水氏に関心を抱き、足跡を調べてきた。見えてきたのは、時代の荒波にもまれながらも信仰を守り続けた僧侶の姿だった。

吉水氏が幕末に暮らしていたのは、山田河崎町(現伊勢市)にあった大泉寺。亡くなった住職に代わり法務を行うなど、同寺の後継者として順調に歩みを進めていた。

だが明治時代になり、状況が一変した。伊勢神宮の門前町でもある大泉寺がある地域では、当時の行政当局が「寺僧の複正」(還俗)を強力に推し進めた。三重県郷土資料刊行会の『宇治山田明治年代記』によると、約140カ寺のうち存続できたのは50カ寺にすぎなかったという。

大泉寺も廃寺となり、本堂は愛知県豊田市の寺院へと売却された。譲り渡し状には、吉水氏の還俗した時の氏名とみられる「元大泉寺 大泉一郎」の署名がある。

堤住職は「取って付けたような名前。残酷さを感じる。涙をのんで伊勢を後にしたのではないか」と言う。