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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

つながり、そして明日へ 1(1/3ページ)

2012年11月29日付 中外日報
防災庁舎の残骸には、連日のように各地から見学者が訪れる(宮城県南三陸町で)
防災庁舎の残骸には、連日のように各地から見学者が訪れる

残った人の生きる支えに

亡き人とのつながり確認

女性の声が涙で震えていた。今年1月25日の夜遅く、京都の僧侶に宮城県南三陸町から電話がかかってきた。

巨大な津波が押し寄せた時、居残って警戒していた多くの町職員が濁流にのまれ、33人が犠牲になった町役場の防災対策庁舎。3階建ての鉄骨だけがむき出しになったその残骸の前から、行方不明のままの夫を思う妻(51)が「またここで泣いているんです」と話し掛けてきた。

前日からの急な冷え込みで、最低気温は氷点下。周辺には瓦礫の山と廃虚ばかりの漆黒の闇から伝わる深い悲嘆に、僧侶は携帯電話を握り締めた。

最後まで防災無線で町民に避難を呼び掛け、津波に流された若い女性職員らの悲劇が報道され、全国に知られて震災の「遺跡」のようになった庁舎。日中は連日のようにバスなどで見学者が絶えず、遺族が悲しみを吐き出す場ではなくなってしまった。

津波災禍を記憶するため庁舎残骸を保存するかどうか、論議が続いた。遺族らは翻弄された。

「こんなもの早く壊してください」。以前訪れた際、前にしつらえられた祭壇に花束や卒塔婆などと共に置かれていたメッセージは1周年の3月にはなくなり、「年月が過ぎても、この庁舎がなくなっても皆様のことは忘れません」との手紙があった。錆の浮いた赤い鉄骨に窓枠の残骸やコードが絡み付いている。屋上へ続く鉄製階段は津波の猛威でねじ曲がっている。