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<連載・断面>日蓮宗の現状と課題 第1回

2015年2月20日付 中外日報

岐路に立つ57「本山」

総本山身延山久遠寺(山梨県身延町)、大本山池上本門寺(東京都大田区)など一般にもよく知られた寺院をはじめ、日蓮宗には「本山」と呼ばれる寺が57もある。しかし昭和初期の宗会決議による本末解体で末寺が離れて財政難に陥り、伽藍の維持に苦労している所もある。宗内からは「格式だけ高く実体が伴っていない」と、薄れゆく本山の存在意義を危ぶむ意見も聞かれ、長く守られてきた信仰の拠点が歴史の遺物になりかねない状態だ。岐路に立つ各本山の現状と課題を探る。

境内に墓地造成

千葉県大網白里市ののどかな農村にショベルカーの音が響く。本山正法寺で進む境内整備だ。操作しているのは同寺の役僧。山裾を削り、伐採した木の根を掘り出し、新たに墓地にする平地を広げている。

畠山日慶貫首(70)は「専門の業者に頼む余裕はなく、ショベルカーを買う資金もなかったが、使わなくなった重機を檀信徒が奉納してくれた」と話す。

正法寺は1458(長禄2)年に創建され、日蓮宗「関東三大檀林」の一つ小西檀林として最盛期には千人近い学僧が学んでいた。明治初期に火災で伽藍の大半を焼失し檀林は廃止されたが、14万坪の広大な所有地があり、米などの農作物で収入を得ていた。しかし戦後の農地解放で土地は10分の1に減り衰退が始まった。

明治の大火以来、本堂は講堂を転用した仮本堂のままだ。昨年晋山した畠山貫首は10年以内の本堂建立を目指す。「普通に考えればできないと思えることでも、法華経を信ずればできると皆さんに示すのが僧侶」。新墓地は今春から募集を開始する予定で、近くに新興住宅地が開け、東京から電車で1時間余という立地条件から、墓地が縁となって檀家が増えればと願っている。

尼寺に男性貫首

日蓮宗唯一の門跡寺院、瑞龍寺(滋賀県近江八幡市)。1596(文禄5)年の創建以来、代々皇女や公家の子女が尼僧となって貫首を務めてきた。現在の15世鷲津日英氏(77)は初の男性貫首だ。

学生時代に九条日浄・11世貫首を訪ねると、宗門校の立正大に通っていたこともあり、「あなたがおひいさま(お姫様)だったらねえ」と言われた。この時も後任が決まっておらず、結局12世晋山まで十数年空白期間が生じた。

鷲津貫首は先代貫首の長男で、執事長を務めながら尼門跡の伝統を守ろうと、貫首候補探しに手を尽くした。しかし、檀家が一軒もなく運営の厳しい寺に入ってくれる皇室関係の尼僧にはなかなか巡り合えず、自らの就任を決断した。それを聞いた先代は、安心したように96歳で遷化したという。

日蓮聖人には「六老僧」「中老僧」と呼ばれる直弟子がいた。彼ら門弟たちは宗祖の遺命を胸に各地で布教に励んだ。

日興上人が開山した大本山北山本門寺(静岡県富士宮市)、京都弘通を託された日像上人の大本山妙顕寺(京都市上京区)など各地に拠点がつくられ、さらにその弟子たちの布教で本山や末寺ができていった。

独自色強い本山

それぞれの本山には派祖からの長い歴史で培われた伝統や地域の特性もあり、また堀之内妙法寺(東京都杉並区)など戦後になって本山と呼ばれるようになった寺院もある。一口に「本山」と言ってもその現状や抱える課題は様々だ。

近世仏教史が専門の北村行遠・立正大教授(67)は「各本山を頂点とする組織が、江戸時代まではそれぞれ独立して存在していた。現在でいえば別の宗派のようなもの。教義に違いもあり、日蓮門下というつながりはあったものの組織ごとの関係は薄かった」と説明する。

門流・法縁を超えて本山同士で支え合う伝統がなく、その門流・法縁も本末解体や現代人の宗教意識の変化などで、かつてのような強固な関係にはない。存続の危機に瀕する本山に宗門はどう対処しようとしているのか。