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<連載・断面>新宗教⑥

2014年8月1日付 中外日報

教団トップとは宮本要太郎・関大教授に聞く

「教主」「会長」「総裁」――。教団の顔となる人の呼び名はさまざまだ。教団の創始者は、特殊な霊力を持っていたり、際立ったカリスマ性があったりと、強い宗教性で信徒を引き付ける例が多い。ある教団では数代前のトップが今も強烈なカリスマ性を持っており、その後の継承者がかすんで見えるとの声も聞かれる。特別な存在感を示した人から教団を引き継ぎ、信徒を束ねる立場に立つ教団トップとは、どのような存在といえるのだろうか。さまざまな教団の教祖伝を研究してきた宮本要太郎・関西大教授(比較宗教学)に解説してもらった。

信仰上のリーダー 血縁以外の神聖性必要

「信者の先達のような、信仰上のリーダー」。現在の教団トップの役割を、宮本教授はこう説明する。そもそも教団は創始者の周りに信者が集まることで生まれ発展してきた。「信仰共同体の中心は創始者であり、それとは別に存命の人が崇拝対象になると混乱が生じかねない。創始者と教団トップの間には、明確な違いを持たせることが大切」と話す。

信者のリーダーとして存在感を示すのが、霊友会の末吉将祠会長(65)だ。同会では創立者の久保角太郎・小谷喜美の両氏を「恩師」と称し、信者にとっては特別な存在。それに対し末吉会長は、会員に話をするときも自分は未完成の存在であるから共に修行に励もうと呼び掛ける。在家教団を標榜する同会では、会長といえども菩薩行に励む会員の一人だ。

末吉会長は大形市太郎・前会長の死去を受けて昨年4月に就任。同会は小谷初代会長の後、久保恩師の子息である久保継成氏が会長に就任したが、その後は濱口八重氏、大形氏、そして末吉会長と、創立者とは血縁のない人が会長を務めている。

教団トップに血縁者が就任することについて宮本教授は、「後継の正当性を保証する要素の一つが血縁。創始者の血縁であること自体が神聖性を帯びており、その背景には祖先崇拝という日本の伝統的な思想がある」と認めつつも、「親子関係ではどうしても、親にも子にも甘えが出てしまう。信仰の継承は、師匠から弟子という関係でなされるべきでは」と提言する。

「現代の日本社会では、血縁の位置付けが低下している。今後は血筋だけで継承者を全面的に肯定してよいのかという声が上がってきてもおかしくない。教団トップに求められる本来の要件は、創始者の教えを忠実に伝え、その精神性が感じられること。血筋にとどまらない神聖性を保証するものが必要となってくる」と話す。

善隣教の力久道臣教主(44)は、寒中での水行、爪先立ちの行、無言の行、目隠しの行など、厳しい荒行を行っている。3キロのれんがを10個背負って約40キロ歩く、「捨身煉瓦の御大行」も経験した。一つ一つのれんがには信徒のさまざまな苦悩が書き込まれており、質量以上の重みがのしかかった。

こうした荒行は辰斎教祖が自らに課したもの。道臣教主はその孫で血縁関係にはあるが、命懸けの行を追体験した上で教主に就いた。就任式典でも、隆積・前教主が教祖像と手を合わせて「御行力」を受け、新教主の手へと引き渡されて神聖性が継承された。

また宮本教授は「現代では超自然的な霊力を強調する教団が少なくなり、トップも組織をまとめ維持運営していく能力が重視されるようになっている」と指摘する。信仰者集団である教団をまとめるには、事務能力が優れているだけでなく、高い人徳も求められるという。

そこで重要なのが、信者との距離感だ。教団トップと信者が親しく会話できるような近い関係にあればよいが、遠い存在になってしまうと「教主」や「会長」といった肩書が独り歩きしかねない。場合によっては信徒の無関心を招く恐れもあると警鐘を鳴らす。

「教団トップの存在は、教団全員で認めていくもの。継承者には、教祖を継ぐのにふさわしい人物だという“物語”が必要となる。その人の背後に教祖の存在が感じられるような物語が形成されていくことが、教団トップとして認められていることの証しだろう」