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<連載・断面>都市開教②

2014年5月28日付 中外日報

衣食の中に道心なし 就職口にはあらず

「開教志願者の中には、まるで開教を就職口の一つと考えている者もいる」。ある伝統仏教教団の幹部はこう言って顔をしかめた。

都市部で開教に従事するのは、地方の寺院の次男、三男や在家出身の僧侶が多い。受け継ぐべき寺を持たないこれらの人たちの中には、「生活のため」とドライに割り切り、マンションの一室に「寺務所」を構えて、葬儀社などと契約し、葬儀、法事で布施を稼ぐことを生業とする「マンション僧侶」もいる。

その一方で、「衣食の中に道心なし」との伝教大師最澄の言葉があるが、「衣食」のみに拘泥することなく、地道に開教に取り組んでいる僧侶も少なくはない。

東京都多摩市のニュータウンの一角に2008年に宗教法人「林海庵」を開いた浄土宗の国内開教使、笠原泰淳氏(55)もその一人だ。

在家の出身で、慶応大を卒業後、都内の大手企業に就職した。しかし父の死をきっかけに、少年期から真剣に考え続けてきた生死の問題に正面から向き合いたいと、32歳の時に会社を辞めて菩提寺の住職のもとに弟子入りした。

01年に多摩市に隣接する東京都稲城市の賃貸マンションの一室で開教に着手した。出発点は「マンション僧侶」だったが、「道心」を失うことはなかった。

インターネットのホームページなどを通して1人、また1人と縁づくりに努め、毎月第4土曜日に開く「お念仏の会」には、片道2時間以上かけて参加する人もおり、多い時には20人余りが集う。

前は一戸建ての住宅だった「林海庵」の1階、約20畳の仏間に集まり、みんなで木魚をたたきながら念仏を唱え、笠原氏の法話を聴聞した後、全員が輪になって座り一連の大きな数珠を繰る。浄土宗の寺院で日常的に行われる仏事だが、数珠を繰りながら信徒同士が互いに自己紹介し、近況を述べ合う姿に開教寺院の初々しさが漂う。

「信徒さんのコミュニティーを育てていくことを通して開教を進めたいと願っています。数珠繰りで一言ずつ話してもらうのは、みんながお念仏という一つの輪につながっていることを実感していただきたいからです」

笠原氏は「信徒さんは私たち僧侶がどのような姿勢で仏様、ご本尊に向き合い拝んでいるのかをよく見ています。僧侶、開教使としての私の信念は伝教大師のお言葉『道心の中に衣食あり』です」と話した。

もちろん、笠原氏も僧侶として生活していかねばならない。安定した収入があったサラリーマン生活を辞め、檀家ゼロで開教をスタートした時には不安も。

都内の寺院の法務の手伝いとホームページを作るしかすることがなかったころもあったが、浄土宗と東京教区から支給される助成金(月単位)と妻が翻訳の仕事で得る収入がこの苦しい時期の支えになった。

また05年に「林海庵」のもととなる住宅を買い取る際には、信者らが1千万円を寄付してくれたが、それに自分の貯金を合わせても足りず、浄土宗開教振興協会に貸付制度を設けるように願い出て、上限の3千万円を借り入れた。

既に売買契約を結んでいたため、もし借り入れができなかったら高額の違約金を払わねばならず、どうしようと不安もよぎったが、「滑り込みセーフ」で間に合った。

この時の借入金はもう完済して順調に開教活動に取り組んでいるが、最初のころは「大変だろう」と心配してくれた宗内寺院の紹介で僧侶派遣業者と少し付き合ったことがあるという。

派遣業者の紹介で葬儀や法事を行う場合、お布施の何割かを“リベート”として業者に納める慣習がある。

しかし、施主の知らないところでこのような不明瞭なお布施(お金)のやりとりが行われることに疑問を感じ、数年で“派遣の仕事”をやめた。

ただ、開教僧侶は地元の寺院、僧侶らとの関係が希薄で、ともすれば孤立してしまい、それが当面の「衣食」のみを求めざるを得ない僧侶を生む原因ともなっている。「孤立を防ぐための教団組織の支援体制が不可欠」と笠原氏は指摘した。