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13.泣きたい時に泣き笑いたい時に笑う

2015年4月22日付 中外日報(5度目の春へ-東日本大震災)

神輿や神楽で元気出し 地域と手をつなぐ神職

仮社殿の前で「つながりが大事」と話す藤波宮司(宮城県山元町の八重垣神社で)
仮社殿の前で「つながりが大事」と話す藤波宮司(宮城県山元町の八重垣神社で)

宮城県山元町の曹洞宗普門寺でボランティアセンター長を務めながら、被災した近くの青巣稲荷神社の神職に就いた藤本和敏さん(45)は、幣さばきなど神事の訓練に余念がない。同県名取市の介護NPOの仕事は非常勤にしてもらい、いずれは町内に住んで「地元住民」になるつもりだ。

平安初期の創建と伝わる同神社は津波で完全に流失し、寺を拠点に藤本さんらは復旧に力を尽くした。神社庁によって再建された小さな社殿を年末年始にライトアップしたり、どんと祭を盛り上げたりし、仮設暮らしを続ける氏子や住民とつながりができたが、昨年初めに高齢の宮司が引退。周囲から「あなたしかいない」と強く請われ、悩んだ揚げ句に引き受けた。國學院大で養成講座を受けて11月には禰宜に就任し、震災後初めて秋祭を復活させた。

社務所もまだプレハブだが、集まった参拝者のうれしそうな表情に藤本さんは、「神様はお参りに来る方々の心の中にいます」。今後は、盛大だった神輿渡御や津波の教訓を取り入れて神楽も復活させようと考える。「寺や神社は町の再生に欠かせない。神も仏もいることを示したい」

藤本さんがこの夏に宮司に就くまで兼務をし、指導や援助をするのは、南へ1・5キロにある八重垣神社の藤波祥子宮司(59)。やはり、地域のつながりを支えるのが神職の務めだと信じる。

藤波宮司もまた、震災直後に社殿が全壊した跡の何もない所へ氏子が来て手を合わせているのを見て、「ここに神様は来られる」と確信したのが復興への力だ。その象徴として全国のボランティアによって「緑の防波堤」として植えられた広葉樹の鎮守の森は、その後もほとんど枯れもせず育っている。

宮司が避難先の隣の市から車で30分かけて通う仮設社務所では、社殿再建の真新しい設計図がホワイトボードに貼ってある。昨年11月に工事関係者だけで地鎮祭をしたが宮大工の不足で神輿庫などが先になり、本殿の着工は年末になりそうだ。だが「ようやく見通しが出てきました」とほほ笑む。

しかし「この土地の人はからっとして表面はざっくばらんですが、心の中には苦を抱えています」。ほとんどの氏子が仮設住まいで、お札を配りながら様子を見に行くと、特に高齢者の元気がない。町には戻れず移転するしかないが、見も知らぬ知人もいない土地への不安に孤独感を募らせている。そんな中、「皆が出て行ったら亡くなった人を誰が守るんだ」と近所に住み続ける70代の総代がいる。

宮司は「津波で多くの方が犠牲になったので行き場のないご先祖の魂が、ここに集まってくるのかもしれません。神社は神様の住まいであると同時に亡くなった人の拠り所でもあるのでしょう」と語る。そして、自身は「怖くない温かい魂。だから、私は居たいからここに居ます」と笑った。

赤い鳥居を昨秋再建し若い人が「ご朱印を」とよくやって来るようになった。印は流されてしまったが、氏子宅にあった印影から復活した新しいものを印鑑会社が奉納してくれた。普段の参拝はまだまだそんなに多くはないが、ようやくできた復興公営住宅に入居する際にお祓いを頼んでくる家族がよくある。「自宅が流されて怖い思いをしたから厄払いですよ」。自力で家を新築する人から地鎮祭の依頼が増えているのがうれしい。

「泣きたい時には泣き、笑いたい時には笑う。そうやって皆と手をつないで元気出していきます」

(北村敏泰)

=終わり