ニュース画像
多くの人が見守る中、彰義隊墓所で盛大に営まれた150回忌法要
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版
トップ> 5度目の春へ-東日本大震災リスト> 6.独り暮らし婆ちゃんの多い仮設で

6.独り暮らし婆ちゃんの多い仮設で

2015年3月27日付 中外日報(5度目の春へ-東日本大震災)

原発に村を奪われても「までい着」で生き抜く

「負けません」と「までい着」を見せる佐野さん(福島市内の仮設住宅で)
「負けません」と「までい着」を見せる佐野さん(福島市内の仮設住宅で)

原発事故で全村避難を強いられた福島県飯舘村の住民が暮らす仮設住宅は、30キロ以上も離れた福島市内にも数多くある。松川第1仮設団地は郊外の山間に近く、昼間でもひっそりと静まり返っていた。ここで高齢者を中心とした主婦らで「までい着」を縫う会を運営する佐野ハツノさん(66)は、ベニヤの床板がしなる玄関を入ってすぐの、ホームこたつを置けばいっぱいになる居間でにこやかに迎えてくれた。

「までい」とは飯舘方言で「真心込めて、丁寧に」といった意味。事故の年の夏以来、特に高齢化が目立つこの仮設で、家族と別々に避難し独り暮らしのウメさん(84)が寂しさに「死にたい」と毎日泣いていた。その姿に慰めの声を掛けていて、ウメさんが古い着物を自分で上下の作務衣風の普段着に仕立て直して着ているのに気付き、「皆で習って一緒に縫えたら」と思い付いた。

呼び掛けに20人余りが集まり、団地のプレハブの談話室でウメさんの指導を受ける。「いいたてカーネーションの会」と名付け、腕はどんどん上達した。ちょっとした縁から翌春、千葉のデパートで販売すると数十着が売り切れ、皆の意気が大いに上がる。その後も佐野さんの“セールス”もあって、他の製品も含めて評判が各地に広がっている。

「ここは今でも婆ちゃんの独り暮らしが多い。初めは『自分の身でやっとなのに、人様のものなんか縫えねえ』ってたのが、小遣いにもなり、張り合いが出て皆の顔つきが変わりました」と佐野さん。だが一方で、長引く仮設生活で体を壊したり亡くなったりで人数が減りがちなのが心配だ。

被災3県で昨年、仮設住宅での「孤独死」が計44人に上った。震災以来年々増え続けて最多を記録し、累計は140人超。昨年は福島県が最も多くなった。3県での仮設生活者はなお計8万1700人余り。原発事故ではさらに膨大な数の人々が慣れぬ土地で避難生活をしている。

佐野さんの頑張りは26年前の「若妻の翼」事業体験にさかのぼる。当時、過疎の故郷発展の願いをかけ、村が費用を負担し、公募した20~40代の主婦19人を11日間のヨーロッパ研修旅行に派遣したのだった。一番多忙な秋の収穫期、しかも村では「嫁に頭は要らねえ」と言われるような時代。応募者は泣く思いをして家族や周囲を説得し、佐野さんは理解のある義父母らに支えられて参加できた。

ドイツなど各地で自然を生かした地域活性化の例を学び、参加者で報告書も出した。その成果で佐野さんらメンバーが村民企画会議など様々な要職に就き、村環境づくり条例にもつながった。

「お金もうけだけが大事じゃない。貧乏でも豊かな心は自分で育むもの」。そう確信したのが今の力になっている、と佐野さんは言う。原発に生活が奪われても壊れない、村の重い歴史の積み重ね。佐野さんは、活動を将来村へ戻っても継続できるようにしっかりした組織づくりを進める。「までい」は飯舘復興の合言葉でもある。

居間の戸棚に何種類もの薬が入った箱がある。佐野さんはステージ4のがんを宣告され、抗がん剤の副作用で体調は悪い。だが「負げねえぞ」と声に出した。生まれ育ったのは村の綿津見神社近く。幼なじみの宮司(67)は村に残り、毎朝復興を祈念して祝詞を上げている。故郷への同じ思いが胸に突き上がる。

(北村敏泰)