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5.この線量では戻りたくても帰れない

2015年3月20日付 中外日報(5度目の春へ-東日本大震災)

今はまだグレーゾーン つながり励みに生きる

杉岡住職の職員服の胸には、「ささえあう」と人々が寄り添う絵が描かれたワッペンがついている(飯舘村役場で)
杉岡住職の職員服の胸には、「ささえあう」と人々が寄り添う絵が描かれたワッペンがついている(飯舘村役場で)

東京電力福島第1原発の事故で村民が避難を続ける福島県飯舘村の山間は、3月に入っても雪に包まれている。少し前に訪れた際、耕作できない田畑など、そこここに除染で出た汚染土の袋が数百、数千も並べられ、銀世界の中の黒い要塞のように見えた。

居住制限区域になっている村中央部の丘陵にある中学校は4年たって廃虚のように静まり返り、数少ない職員が執務する近くの村役場では庁舎前に置かれた放射線量計が、毎時0・31マイクロシーベルトを表示していた。

村復興対策課職員として、ここと福島市内の役場避難先とを行き来して仕事を続ける杉岡誠順・浄土真宗本願寺派善仁寺住職(39)は「今はまだグレーゾーンの時期です」と話す。転出を前提に、国直轄事業である家屋解体の申し込みが増えた。村内の除染はある程度進んだが、戻りたい人も、「こんな線量じゃ帰れない」と悩む人もいる。「除染が一段落するまで2年以上かかるでしょう。その中で皆さんが腹を決められるかどうかです」と思いやる。

住職として村外の避難先の民家を寺の代わりとして法事を勤め、檀家も来るが、135軒のうち「戻る可能性」はわずか1割、残りはどうなるか不安を訴える。昨年11月に南相馬市の寺を借りて営んだ報恩講には多くの門徒が集まったが、年月を経て「諦めが出ている」と感じる。

以前は震災の事が中心だった話題が、今は教えの話が求められる。杉岡住職はあえて「震災前よりも、皆さん墓参りを重く考えておられるでしょう?」と、気付きを導き出す。「村にいてもいなくても、どこでも手を合わせればつながる。どういう未来を選んでもそれが正しい、というのが真宗の教えです」

村の東の市街地にある善仁寺も鍵がかかったまま。周囲の家々はゴーストタウンのように音もせず、ガラスが割れて荒れ果てた店も。しかし、この国では記憶の風化が進んでいると思う。東京へ行けば「節電のポスターはもうなく、深夜まで明かりが輝いている」。

悲しい事も続く。農業の仕事を奪われ、村内の見回り隊を職にしていた50代の男性が出てこないので家へ見に行くと、倒れていた。長引く避難生活によるストレスで、緊急入院させたが亡くなった。葬儀をした住職は「肩組んで一緒にやろうという仲間だったのに」と唇をかむ。

杉岡住職の中では僧侶と村職員の区別はない。「どうしよう」という不安に、「求められれば、どう考えたらいいかお話しします」。問いがあるからこそ教えが生きる。これも真宗と同じだという。

幼い息子のいる檀家の若い母親から、避難区域内の自宅で法事をしたいが大丈夫か、と相談があった。「30分くらいならいいでしょう。でもお墓は地面が露出していて危ないから、車から手を合わせるだけでも」と助言した。結局、母親は実行した。「仏壇を拝ませたくて」と。

「例えば、線香を上げることが本質ではない。本当に大切なのは何か、おかげさまの気持ちを見いだすことが大事です」と住職は言う。これまで「形」としてやってきた事に根本的な問いが生まれる。それへ導くのが僧侶の役目、「説教ではなく御同朋御同行のつながりの中で問い、考える、それが自然法爾です」。

村の学校給食センターに、津波で被災した岩手県釜石市の唐丹中の生徒から「安全なものを食べて」と自分たちが採ったワカメが送られてきた。村の女性は中学校支援に寄付金を送った。ここでもやはり、いろんな人々のつながりが励みだ。

(北村敏泰)