ニュース画像
叡南覚範門主からおかみそりを受ける参加者
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版
トップ> 5度目の春へ-東日本大震災リスト> 4.漁師やめ息子捜し 裁判が生きる支え

4.漁師やめ息子捜し 裁判が生きる支え

2015年3月18日付 中外日報(5度目の春へ-東日本大震災)

やり切れなさ抱える親の話聞くことが僧侶の仕事

大川小の前の祭壇には様々な慰霊碑が並ぶ(宮城県石巻市で)
大川小の前の祭壇には様々な慰霊碑が並ぶ(宮城県石巻市で)

宮城県石巻市立大川小の廃虚での11日の追悼法要には、地元の曹洞宗海蔵庵の佐竹泰生住職(51)も参列していた。それに先立って各地から集まった曹洞宗青年会の僧侶ら60人と、海に近い北上川河口付近から小学校まで、厳寒の中を慰霊行脚した。

住職は4年前の3月、震災数日前に寺の近所に住む檀家の5年生の娘が同級生2人と回覧板を持ってきた時のにこにこした笑顔を思い出す。「ご苦労さま」とみかんを渡した。地区が津波で壊滅した後、寺に避難した住民の食糧調達に、小舟で行脚と同じ道筋を水没した学校まで来ると、泥の中に何十人もの児童の遺体が横たわっていた。あの娘の姿もあった。

人々の苦しみは今も癒えない。佐竹住職の小学校からの友人の男性(54)は一人っ子の長男を失い、話をするたびに涙を流す。息子の遺品を見るのもつらい。そこから通学した自宅にいることにも耐えられず、市内中心部へ転居した。漁業を営んでいた別の父親は、行方不明のままの2年生の息子を捜して浦々を船で回り、学校跡地周辺を整備する土建会社に入って仕事をしながら捜索することを生きがいにしている。

訴訟を起こした遺族の中には、仕事も手に付かずそのために辞めた父親(53)もいる。子供だけでなく両親も亡くし、「死にたい」とばかり言う。「悲しいことですが、裁判が生きる支えになっている。役所の対応は人間味がない」

そういう住職は、「訴えても子供は戻らない」という遺族の気持ちも理解する。決して両者に溝があるわけではない。言いようのないやり切れなさを抱える人たちに対して「どうしようか」と考えても、ひたすら話を聞くしかないと分かる。苦悩を訴える人々に「そうだね」と応える、それが地元で生まれ育った僧侶の仕事だと悟った。「阪神・淡路大震災でも20年たったからといって、悲しみが消えたわけじゃないですから」

前向きになりたいと思う人もいる。5年生の姉、3年生の弟が犠牲になった檀家の40代の両親は、自宅も経営する縫製業の工場も被災した。だが子供らのためにも立ち直ろうとしている。昨秋、男の子が生まれ、「祐貴」と名付けた。住職の元へ御詠歌の講で訪れる祖母は「孫の笑顔に救われる」と話した。

海蔵庵のあった河口付近の長面地区は、まだ広範囲に水没し海のようになったまま。水道、電気などインフラも破壊され、住宅解体さえ手付かずで復興もおぼつかない。そんな中、佐竹住職は「これから寺としてできることは、そんなにないかもしれません。でも寺を預かっている以上は必ずや再建したい」と語る。幸い、街中に土地を寄進してもらうことができ、そこで本堂を再興して元の寺にある各檀家の位牌を移すつもりだ。

集団移転が終わってからの予定だが、3年後という地域の造成完了は遅れることを住職は予想している。「時期が来ないと立ち直れません。それまで、皆さんとのご縁の中で寺として粛々と檀務を続けることが一番ではないでしょうか」

最大の被災地となった石巻市内でも、少しずつ動きが見える。ようやく開通したJR仙石線の石巻駅近くの「かめ七呉服店」では、津波被害でも辛うじて無事残った手拭いが「強運かめタオル」として評判になり支援者を通じて全国に広がっている。

店は、各地から来たボランティアと地元で街の再生に取り組むNPOのネットワークの拠点になっており、2年前の伊豆大島台風災害でも「かめタオル」をかぶった若者たちが支援に汗を流した。店主の米倉純一さん(65)は言う。「様々な縁が広がったことが救いですね」

(北村敏泰)