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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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2.「寺ががんばらないと」

2015年3月11日付 中外日報(5度目の春へ-東日本大震災)

故郷は廃虚 漂流する被災者

大雄寺の山門の前はまだ一面の廃虚が広がる(2月、宮城県南三陸町で)
大雄寺の山門の前はまだ一面の廃虚が広がる(2月、宮城県南三陸町で)

宮城県南三陸町の壊滅した市街地の中央。津波で町職員ら43人が亡くなった町防災対策庁舎は、赤い鉄骨だけの残骸のさびがひどい。前に設えられた祭壇には、石の地蔵像に加え命日を前に多くの花束が供えられていた。相変わらずバスや車でたくさんの見学者が訪れ、手を合わせていく。

付近は住宅の廃虚が草原となり、まだ雪が残っていた。そこここで地盤のかさ上げ工事が進む。しかし、すぐ横で重機が打ち固めている盛り土は高さが水没した庁舎よりも低い。近くの仮設の復興商店街では、水産品店の主人が「これからどうなるか。見通しはない」とこぼした。

「まだまだ、町の状態がこんなだから皆さんの心の復興もまだまだ。10年以上かかるかもしれませんね」。市街地を見下ろす高台にある曹洞宗大雄寺の小島孝尋住職(55)はつぶやく。震災直後には多くの避難者を受け入れて世話をし、その後は300人以上の犠牲者の供養を続けて寄り添ってきた。今、住民の悲しみが癒えない大きな理由は、4年たってなお行方不明者が200人を超えること。同寺の檀家でも80人が見つからない。

「せめて遺体の一部でも、遺品のかけらでも見つからないでしょうか」。そう絞り出すような願いの声を、小島住職は折に触れて聞く。近所の檀家の女性は、80代の父も母も流されたままだ。区切りとして葬儀は済ませたものの、全壊した自宅跡に仮設住宅から連日通っては手を合わせる姿に、住職の胸も痛む。月命日には寺にある墓に参り線香と花を供えるが、墓石に入っているのは血脈譜だけだ。

「どこにいるのでしょう」。憔悴した様子に、住職は「どこへ行かれてもお骨になって、ここから地続きのどこかにおられます。そうして仏さんはあなたのそばにいるのだから」と話し掛ける。そして、「しっかり生きてください」と励ますしかないという。

寺には檀家がよく訪ねてくる。ある日、位牌を持って訪れた高齢の女性は「あの人も駅前の家から町外へ出た。皆いなくなるね」とこぼした。知人が「仮設暮らしはもう限界」と訴える98歳の祖父母のために隣の市で家を新築したが、半年で2人とも亡くなったという。「でも、せめて仮設でなくて良かった」。被災3県では、まだ8万人以上が仮設住宅で生活を余儀なくされている。

町の人口流出は止まらない。「なんとかしなくては」という思いで檀務に励む傍ら、住職は町教育委員として子供たちの将来に心を砕く。人口減の中では学校存続も危うく、対策の段取りや会議に忙しい。

小中学生に震災の後遺症、心的なストレスが残っているという。2月中旬、少し強い地震が相次いだ際、学校で児童生徒たちが恐怖に体をこわばらせる姿が見られた。

「町の希望は子供たちなのに、その故郷がまだ瓦礫だらけの廃虚で将来の夢も描けない。荒涼とした危険な街で、自分たちの足で歩いたり自転車で遊びにも満足に行けないのは、あまりにかわいそうです」と住職は復興の遅れに心を曇らせる。

来年春頃にはようやく町内の1カ所で高台造成が完成する予定だが、家を建て、引っ越して生活再建できるのはずっと先のことだと感じている。「その間、寺が頑張らなくては。ここにしっかり寺がとどまることで皆さんが戻ってきた時に昔からの故郷を感じてもらえる」。そう小島住職は信じる。

(北村敏泰)