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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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悲しみはなお癒えず 「苦」に寄り添う宗教者も(1/2ページ)

2015年3月6日付 中外日報(5度目の春へ-東日本大震災)

“娘の春”を津波がさらった

今も慰霊の人々が絶えない防災対策庁舎。保存をめぐって揺れている(2月、宮城県南三陸町で)
今も慰霊の人々が絶えない防災対策庁舎。保存をめぐって揺れている(2月、宮城県南三陸町で)

「寒いから車の中で話そ」。母と体調の思わしくない娘は気遣い合った。2011年3月10日夕刻6時すぎ、潮風が吹き付ける宮城県南三陸町の保健センターそばの駐車場で、遠藤美恵子さん(57)は世帯を持った24歳の長女未希さんと、半年後の結婚披露宴に着るドレスの相談をしていた。

「彼と下見したピンクのは似合わない」という娘に、近く新作が出る和風のドレスを2人で一緒に見に行く約束をした。未希さんは幼い時から母に反抗することもなく、素直に育った。それが、結婚だけは「自分たちでお金ためてやるから」と言い張った。美恵子さんは「親らしい事もしてやれなかった」と申し訳ない気持ちになったが、「大丈夫」との娘の言葉に甘えた。母にとってもこれからが待ち遠しい。

2時間近く、「母と娘ならでは」の話に花が咲き、普段は口数の少ない未希さんがいつもよりよくしゃべった気がした。美恵子さんが採ったワカメを手土産に渡し、それが「別れ」になった。

翌日午後、かつてない強い地震に見舞われ町に巨大な津波が迫りつつある中で、町危機管理課職員の未希さんは役場防災対策庁舎2階にある町内防災無線放送室で「急いで高台に避難してください」と繰り返し繰り返し呼び掛けを続けていた。そして3階建て庁舎の屋上まで怒涛が押し寄せた時、他の多くの職員と共に帰らぬ人となった。

放送の未希さんの声は終始落ち着いていた。しっかりした責任感の強い性格を、母はよく知っている。それが津波の予想が尋常ではない高さに変わった後は、途中で言葉を詰まらせる。それでもなお上ずった声で「避難してください」と訴え続け、「10メートル以上の津波が……」を最後に途絶えた。直前には同僚たちの猛烈なざわめきと「上へあがっぺ、あがっぺ未希ちゃん」との絶叫。1年後にこの音声記録を聞いた美恵子さんは最後の方の娘の声の震えに、「きっと怖くて仕方なかったんだ」と思いやった。