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再びジャイナ教研究へ

和宗総本山四天王寺管長 奥田聖應氏

2015年3月27日付 中外日報(わが道)

おくだ・しょうおう氏=1938年、大阪市生まれ。61年に大阪外国語大文学部を卒業後、東京大文学部印度哲学梵文学科に入学。68年に同大大学院人文科学研究科印度哲学専攻博士課程を単位取得退学し、ドイツ・ハンブルク大に留学。同大Dr.Phil.博士取得。四天王寺国際仏教大・短期大学部の教授を長く務め、2009年から和宗総本山四天王寺第111世管長。
「ドイツ人は皆、親切でした」と話す奥田管長(五重塔が高くそびえる四天王寺中心伽藍の前で)
「ドイツ人は皆、親切でした」と話す奥田管長(五重塔が高くそびえる四天王寺中心伽藍の前で)

1400年余りの歴史を有する和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区)の管長を3月で退任する。6年間にわたり、同寺の猊座を守ってきたが、実は日本のジャイナ教研究の草分けとして活躍してきた研究者でもある。オーストリア・ウィーン大や、ドイツ・フルダ神学大との交流にも力を注ぎ、学問で日本と海外を結んできた。再び研究の道に踏み出そうとする今、数多くの恩師との出会いを振り返る。

(丹治隆宏)

隔月刊の機関紙『四天王寺』の1・2月号で、ヘイトスピーチに言及していますね。

奥田私たちにとってなじみ深い「十重禁戒」と、聖徳太子が聖典とされた三経の一つ『勝鬘経』の「十大受」(十の大切な戒律)を論拠に、仏教の立場からヘイトスピーチは行ってはいけないということを書きました。

留学した経験もあり、母国を離れて暮らす外国人を守ってあげたいという思いを持っています。

留学は、いつ頃のことですか。

奥田30歳になる少し前、ジャイナ教を学ぶためにドイツに渡り、5年近くいたことになります。

大阪外国語大を卒業し、東京大に移った時、実はインド哲学の一派である数論派を勉強してみたかった。ですが、修士課程に進んで、高崎直道先生が「ジャイナ教が大事だよ」とおっしゃった。その理由の一つは、私が大学でヒンディー語を学んでいたということです。

ジャイナ教の聖典は古代インド語の方言で書かれていますし、現代ヒンディー語に翻訳されたものも多く、ヒンディー語を知らないと知識の習得のためには不十分なのです。当時はジャイナ教の研究者は1人か2人。そのため東京大にも文献が少なく、海外で勉強するしかありませんでした。

ドイツへ行くのは、心細くありませんでしたか。

奥田中村元先生や研究室の他の先生、先輩や友人が私を応援してくださいました。また、四天王寺にも若い僧侶を海外で学ばせようとする風潮がありました。当時の管長だった出口常順氏は、ドイツやフランスに行っておられましたし、瀧藤尊教氏も欧米の学校事情を視察しようと、私と前後して海外に向かい、ドイツにも来られました。

留学の思い出は。

奥田研究室の方々をはじめ、私が接したドイツ人は皆親切でしたが、アルスドルフ先生とベルンハルト先生の二人を忘れることができません。

お二人とも素晴らしい紳士でしたね。アルスドルフ先生の研究領域は非常に幅広く、ジャイナ教だけでなく仏教、ヴェーダ・アパブランシャ碑文などの研究もなさり、ドイツを代表するインド学者でした。私は留学してすぐに先生の二つの演習に出るとともに、週1回ジャイナ教聖典読解の個人指導を受けることができました。

お父様はプロテスタントの牧師さんでした。そんなこともあって「キリスト教で信仰熱心なのは、女性なんですよ」と言われたことがありました。日本も、同じだといえますね。

ベルンハルト先生は、インド学にコンピューターを活用した最初の学者でした。残念なことに、40代初めという若さで亡くなってしまわれました。先生からはインド学者として必要な多くの知識を授けられました。

お父様も管長をなさっていますね。

奥田父・慈應は信仰の塊のような人でした。日本の僧侶は誰もが聖徳太子を敬うでしょうが、非常に強い尊崇の念を持っていました。私は夏は午前5時から、冬も明るくなる頃からお勤めをしていますが、この習慣も父から受け継いだものです。

「背中を見て」ということですか。

奥田そんなに立派なことではありません。怒られながら、身に付きました。「一緒に来なさい」と姉や弟たちと共に、起こされたものです。そうでなくとも、戦争で庫裏が焼けて本堂の中で寝起きしていたので、父のお勤めが始まれば、自然と目が覚めました。

6年間の任期が終わりますね。

奥田在任中は長期間の休みを取ることができなかったので、退いたら旅行でもしてみたいと思っていました。ところが少し前に、本当に久しぶりにジャイナ教の文献を開いてみたところ、3年ほど遠ざかっていたのに、読解力があまり落ちていませんでした。やはり勉強を続けようと思うようになりました。

どんな研究をされるのですか。

奥田ジャイナ教は白衣派と空衣派に分かれて発展しました。白衣派の研究はかなり進んでいますが、空衣派の研究は少々遅れています。

私の学位論文は、空衣派の聖典の成立に関するものでしたが、空衣派の諸概念をさらに明らかにしたいと考えています。勉強を続けることが、お世話になった多くの方々に報いることになるのではないかと思っております。