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“穴太衆積み”を世界へ

粟田建設会長 粟田純司氏

2014年8月22日付 中外日報(わが道)

あわた・じゅんじ氏=1940年生まれ。比叡山高、近畿大で土木を学び、卒業後は父の粟田万喜三・第13代社長に入門し、穴太衆積みの技法を習得した。72年に第14代社長に就任。2005年には長男の純徳さんに第15代社長を譲り、会長に。00年に名工卓越技能章、01年に大津市技術文化功労賞、05年に黄綬褒章を受けた。
「穴太衆積みの技を世界に発信していきたい」と語る粟田さん
「穴太衆積みの技を世界に発信していきたい」と語る粟田さん

全国の約8割の城の石垣を築いたという近江の石工集団「穴太衆」。比叡山で急勾配に耐えられる石積みの技術を培い、織田信長の安土城築城では、その技術をさらに高めて全国で活躍した。コンクリート登場で活躍の場を失いつつあるが、穴太衆発祥の地、大津市坂本の㈱粟田建設の粟田純司会長(74)=第14代社長=は「穴太衆積み」の技術を今日に守り伝えている。

(河合清治)

石積みの技術はいつごろからあるのですか。

粟田大津市北郊にはたくさんの古墳があるのですが、その石室の壁の石積みが穴太衆積みの起源といわれています。その技術は朝鮮半島からの渡来人によって持ち込まれ、大津に石工たちが住み着いたようです。

8世紀になると伝教大師が比叡山を開き、石工たちが山の道路の側壁や建物の基礎の石積みなどに携わりました。急斜面のため、丈夫な石積みにしなくてはならず、試行錯誤して強い土圧にも耐えられる石積みの技術を確立していきました。

穴太衆とは呼ばれていなかったのですか。

粟田当時、石工たちを呼ぶ名称はまだありませんでした。1571年に織田信長が比叡山を焼き打ちにした際、後始末に比叡山を訪れた丹羽長秀が、石積みは壊れておらず、堅固なものであることを信長に報告しました。

そして安土城の築城のために、当時、坂本や穴太、志賀辺りに住んでいた約300人の石工が集められたのです。石積みの技術はさらに磨かれ、高い石垣を造れるようになりました。石工が築く見事な石垣を家来の武将たちは驚嘆のまなざしで見ていたといいます。

完成後、信長は、石工職人が一番多く住んでいた穴太の土地の名前から「穴太石工」として普請記録の文献に記録させました。そして武将たちは穴太衆を呼んで自らの居城を築くようになり、その名前は全国に広まったといいます。穴太衆を世に出したのは信長といえるでしょう。

穴太衆積みの特長は。

粟田いろいろありますが主なものでは、長い石を壁面から奥に向かって垂直に積む「牛蒡積み」、石を立てずに寝かせるように積んで圧力を減少させる「布積み」、壁面から少し入ったところで石と石とを接触させる「二番でつけろ」、足掛かりしにくく、水はけをよくして凍結しにくい「鎧積み」などがあります。これらは、柔軟構造で地震にも強い、先人の知恵の結晶です。

先代さんは厳しかったそうですね。

粟田私は大学を出て、滋賀県庁への就職が決まっていて10年ほど働くつもりだったのですが、親父は「一人前になるのには少なくとも10年以上はかかる。32歳で始めたら40歳を過ぎる。本当に棟梁としてやっていける腕は身に付かない」と言って合格通知を破り捨てました。

また、親父はメジャーを全く使わず、「あの石はここや。その石はここ」と指示すると、不思議なくらいそれらの石がどんどん収まっていくのです。ある時、石積みを自分でやってみろと2メートルくらい任せてくれました。メジャーで測りながらいろいろ計算して出来上がり、親父を呼んで確認してもらったら、見るなりバールで壊され、「頭を使わず腕を使え」と怒鳴られました。

何が気に入らなかったのでしょう。

粟田親父は「石の声」を聞いて、石の行きたいところに持っていっていたのです。当時の私には聞こえませんでした。

その声が聞こえるようになったのは、11年目の安土城の石垣の修復をしている時でした。穴太衆積みでは石選びから大切なのですが、石を見渡していると、どうしても気になる石があるのです。何回見ても目に付く。その石を使い置いた時、「ことん」と音が聞こえました。周囲の職人には聞こえなかったのですが、私には確かに聞こえました。

石にも命があり、意思があるんですね。

粟田穴太衆積みの石垣は大小さまざまな石を使ってできています。一つ一つに役割があり、要らない石は一つもありません。伝教大師は「一隅を照らす人が国宝」だと教え、忘己利他の精神を説いていますが、人間も同じで、小さな栗石のように見えない場所で頑張っている人もいたり、さまざまな人が支え合い、助け合って生きているのです。

今後の目標は。

粟田日本特有の石の積み方、穴太衆積みの素晴らしさを世界にも伝えたいと思っています。2010年からはアメリカでも石職人を相手にワークショップを行っています。そのことによって日本の若い人にも誇りを持って、穴太衆積みを学んでもらえるようになればと願っています。