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師から継ぐ「仏教書道」

書家 赤平泰処(和順)氏

2014年4月25日付 中外日報(わが道)

あかひら・たいしょ(かずのり)氏=1946年、青森県生まれ。大正大卒。中村素堂に師事する。大正大教授・表現文化学科長、毎日書道会評議員、東方書道院同人運営委員、浄土宗芸術家協会副理事長、貞香会会長、西蓮会主宰等を務め、毎日書道顕彰(芸術部門)をはじめ受賞多数。篆隷書を中心に書風の変遷などについての論著や作品集『我が心の書』などがある。
名号を書いてから書に臨むという赤平氏
名号を書いてから書に臨むという赤平氏

浄土宗寺院に生まれ、大学で生涯の師となる書家・中村素堂に出会う。以来、師の教えや言葉を胸に「仏教書道」を追求してきた。書作に臨む前には「南無阿弥陀仏」の名号を書く。書を通して仏教の教えを表現するため、常にその言葉の意味や姿勢を学ぶ態度を忘れない。教育にも熱心で、筆を持つ気持ちと魅力を伝え、多くの弟子を育ててきた。

(佐藤慎太郎)

書の道に入るきっかけは。

赤平生まれは青森県弘前市の浄土宗貞昌寺。庭のきれいな寺でした。父親も大正大出身で林祖洞先生に書道を学んでいて、小学生のころはよく書かされて鍛えられました。中・高と遠ざかっていましたが、大学に入り、父の紹介で中村素堂先生にお会いしてから専門的に学び始めました。先生の書く姿と話す内容に引き込まれ、内弟子のような形で入り、一生の師を得ました。

素堂先生はどんな人物でしたか。

赤平先生は、間宮英宗のもとで禅を学び、浄土宗大本山増上寺でも加行するなど、3宗4派が集まる大正大にふさわしい「オール仏教」の人でした。朝起きて最初に「南無阿弥陀仏」と名号を書いてから書作に向かう習慣を持ち、仏教伝道文化賞も受賞しています。大正大OBが中心となって組織する書道団体・貞香会を創立しましたし、書の題材に仏教の言葉を用い、「仏教書道」を提唱しました。

書道には周辺のさまざまな学問も必要だとおっしゃっていて、先生自身も歌人として歌集も出しています。自らの短歌を仮名文字で書き、「書家は、どんな字でもどんな書体でも書けなければならない」と教えられました。

今でも貞香会では、先生から指導された「品格のある書」を求めています。技術の上手さや奇抜さを競うのではなく、気品・品性を大切にするということです。それは日々の生活を大事にすることで生まれてくるものだと理解しています。年に2回の貞香会の展覧会をご覧になると分かると思いますが、仏教語が多いのはもちろんですが、一本筋が入っているとの評価を受けています。

私も先生のまねをして、書作に入る前に名号を書いて気持ちを清浄にしています。先生の年齢に徐々に近づいてきましたが、いまだ手の平の上に居るような気がします。直接知っている人も少なくなってきましたが、教えを伝えていくのも私たちに与えられた役割だと考えています。

大学での教育にはどんな態度で臨んでいますか。

赤平若い人が書を学んでくれるのはありがたいことです。ただの技術屋にならないように、自己表現として、自分の考え方・意思をしっかり持って、書に対する気持ちをぶつけるよう指導しています。卒業して専門ではない道に進んでも、時には筆を持つ気持ちと魅力を思い出して、生活していってほしいです。

ご自身の書作の姿勢は?

赤平仏教の言葉を書いて伝えていくことが中心です。『仏教語大辞典』や名僧の言葉を扱った本から表現したいという気持ちが高ぶる言葉を選びます。お釈迦様の教えですから、意識して勉強して、意味を理解し表現することは大事です。また書家として、作品に命を懸けて、生き物のように育てていくことを心掛けています。

今は再来年の70歳で予定する個展に向け、下書きや字を選ぶという準備をしています。前回は会場の壁面を埋める大作を仕上げたので、匹敵するものをと思っています。

僧侶にとっても書は大事ですよね。

赤平若い人たちは筆や書から離れていますが、人から手を合わされ、拝まれる文字を書くのですから、ふさわしい字を考えていかなければなりません。まさに品の良い字が求められます。

浄土宗芸術家協会には、絵画や書、音楽で浄土の世界を表現しようとする人がたくさんいます。書道界でも、活躍しているあの人が実は禅宗のお坊さんだった、ということがよくあります。修行する中で鍛えた精神性が書に表れるのでしょう。

また、白隠や良寛といった高僧の墨跡は、展覧会活動の書とは違った魅力があります。仏教界の書を嗜む人が皆、お釈迦様の弟子ということでまとまって何か活動できるといいですね。浄土宗での「一心に念仏申す中での書」のようなものが各宗にもあるはずで、教えの表現の一つなのではないでしょうか。