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造る意識を捨てよ

仏師 江里康慧氏

2013年9月3日付 中外日報(わが道)

えり・こうけい氏=昭和18年生まれ。昭和37年に京都市立日吉ヶ丘高美術課程彫刻科を卒業後、仏師の松久朋琳氏、宗琳氏に入門。昭和40年に独立し、平成元年に天台宗三千院門跡から「大佛師」号を拝受。平成19年に截金の重要無形文化財保持者(人間国宝)である佐代子夫人(故人)と共に、仏教伝道協会の第41回仏教伝道文化賞を受賞した。現在、龍谷大客員教授、同志社女子大嘱託講師を務める。
渾身の思いを込めて仏像を彫り上げる江里仏師
渾身の思いを込めて仏像を彫り上げる江里仏師

仏教と共に伝来した仏像。日本での本格的な仏像制作は飛鳥時代に始まる。いつの世も人々の「願い」を受けてきた仏像は、仏師の手で渾身の思いを込めて彫り上げられる。京都市左京区で平安仏所を主宰する江里康慧仏師は、これまでに千体以上の仏像を手掛けてきた。その活動は仏像制作にとどまらず、仏教文化普及のための講演や著作活動にも及んでいる。江里仏師に仏像制作に懸ける思いを聞いた。

(高橋知行)

仏師を志したきっかけは。

江里仏師の家に生まれましたが、当初から仏師になろうと決めていたわけではありません。高校で西洋彫刻の基礎を学んだこともあって、現代彫刻の道に進もうと考えていました。

当時は高度経済成長のころで「もはや戦後ではない」といわれた時代でしたが、父宗平の背中越しに見る仏師の世界は「未だ戦後の延長」といった感が強く、大きな仕事も少なく、夢や希望が持てる職業とは思えませんでした。

しかし、高校卒業と同時に父の友人である松久朋琳、宗琳(共に故人)両先生から誘いを受けて内弟子となりました。当時、師匠は四天王寺中門の仁王像の制作が決まった時であり、1年後の完成に向けて人手が必要だったようです。

仁王像制作は「500年に1度」といわれた大仕事だけあって、尊像の高さは5メートル近くありました。私はこの大きさに心を惹かれ、「めったにない経験が積める。進路を決めるのはこの仕事が終わってからでも遅くない」と決意し入門しました。

最終的に仏師の道を歩む決断をされたのは、いつですか。

江里入門後は四天王寺に住み込んで制作のお手伝いをしました。仏師の仕事は手取り足取り教わるものではなく、師匠や先輩の行いを見て覚えるものです。休日は先輩の後を追い掛けて古寺や博物館を訪ね、諸尊を拝観し研鑽を積みました。

当初は形状など表面的な美しさに目が向いていたのですが、いつしか諸尊に宿る生命感や精神性といった内面的な魅力に惹かれるようになり、自分の手で再現したいと思い描くようになりました。そして仁王像が完成するころには「仏師の道を進むしかない」と決心しました。

仏像制作における心構えを聞かせてください。

江里師匠に「造るものではない。お迎えするものだ」と言われたことを思い出します。また「木の中にすでに仏はおわします。仏師はまわりにへばり付いた余分なものを取り除くだけ」との言葉もよく聞きましたが、振り返ってみますと当時は、真意を理解していなかったように思います。

後に全ての人間が仏性を備えているという言葉「悉有仏性」と重なった時、師匠の言葉が心に響くようになりました。

仏性は本来誰しもの心の奥深くに備わっています。しかし仏性に煩悩や執着といった余分なものがへばり付き、見えなくなってしまったと考えると、悟りの境地を目指すことも、造仏も、余分なものを取り除くという点で同じだと気付いたのです。

今になって師匠の言葉の意味は「造るという意識を捨てよ」ということかと思えてなりません。

理想とする仏像、そして仏師とは。

江里歴史をひもときますと、造仏活動の最盛期は平安時代から鎌倉時代と考えられます。ここでは鎌倉を含めてそれ以前に造られた仏像を「古典」と表現します。古典の優れているところは技術を超えたところにあって、人々を悟りの境地に誘うような崇高さが備わっています。現代なら技術的には古典を超える作品ができるはずなのですが、その崇高さを表現することは容易なことではありません。

仮説ですが当時の仏師は出家であったのでは、と推測されます。仏像制作は修行形態の一つであり、制作者は職人でも芸術家でもない。悟りを求める修行者とするなら作品に高い精神性が備わっていることに納得がいきます。

古典作品の崇高さを再生させ、次代につなぐことを自らの使命として、仏像制作に取り組んでいます。

ライフワークである釈尊のレリーフ制作と今後の活動について聞かせてください。

江里仏教に仏像が何故生まれたのか、という疑念が常に頭の中にありました。釈尊入滅から仏像誕生まで500年の月日を要したことからも、釈尊の姿を形にすることにためらいがあって、慎重な選択の末に仏像が制作されたと推測されます。

この疑念を解くためにインドを訪ね、仏像の源流といえるストゥーパ(仏塔)とその周囲にある仏伝説話のレリーフを見学しました。釈尊のお姿をどのように表現するかは時代によって異なりますが、レリーフは絵解きされ、そのことによって仏教は発展していったと思います。

仏像の原点に立ち返った時、釈尊の生涯をレリーフで彫り表そうと決心しました。このレリーフを絵解きしていただくことで、微力ながら仏教興隆のお役に立ちたいと、自分なりの目標を見つけることができました。仏像制作と共にレリーフ制作にも力を入れ、いずれはレリーフだけの展覧会を開きたいと考えています。