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越えられない運命はない―誰も行かない道を行く

童話作家 脇谷みどりさん

2012年6月5日付 中外日報(この道を往く)

わきたに・みどりさん=昭和28年、大分県生まれ。兵庫県西宮市在住。夫・長男・長女の4人家族。著書に『希望のスイッチは、くすっ』ほか。介護の日常をつづるフリーペーパー『風のような手紙』を毎月発行。地元・西宮のさくらFMでパーソナリティーを務める。
越えられない運命はない―誰も行かない道を行く脇谷みどりさん

童話作家・脇谷みどりさんの長女・かのこさんは重度の障害を抱えて誕生した。懸命に娘を介護する日々を送る中、平成8年、郷里・大分の母が突然、うつ病・認知症を発症した。「死にたい」と繰り返す母を前に「すぐ帰ってきてくれ」とうろたえる父。とにかく母を元気づけようと毎日、母に送り続けたはがきは5千通にもなった。

「乗り越えられない運命はない」と語る脇谷さんに、娘と母を守るため自らの道を信心で切り開いてきた"戦い"の日々を語ってもらった。

(聞き手=飯川道弘)

お母さんの病気を知らされた時は。

脇谷当時、母はひどい状態でした。救急車を呼ぶこと二十数回、パニック障害、過呼吸、意識混濁、昏倒、震え……。

その時、娘は16歳。それまで娘と生活する中で、施設に預けたら楽になると何度も思いました。でも仏法的にいえば運命は消さない以外に消えないんです。信仰上の先輩に「あまりにもしんどいし、娘を施設に預けようかと思う」と話したら、「介護するというあなたの運命は1ミリも消えない」と言われました。

運命とはそういうものだと。逃げても逃げても消えることなく、また同じ状況が巡ってくる。それなら向かっていくしかない。それ以降、娘を預けようとは考えずにやっていく中で、母の問題が起きました。その時も同じです。逃げたらあかん。何とかする、何とかなると。乗り越えられない運命は出てこないのです。

最重度の障害を持つ娘と、離れた地に暮らす母をどうやって世話していくのか。誰もが行かない道を行かしていただきたいとお題目をあげました。絶対に母を死なせてはならない。思い付いたのは自分が仕事にしている物を書くこと。1日1枚のはがきなら書ける。声掛けや料理を送ったりもしながら毎日はがきを書き、お題目をあげて送りました。いいお医者さんにも出会い、4年目に母のうつ病、認知症が治ったのです。

今はご両親も西宮にお住まいだとか。

脇谷3年前から隣の家に住んでいます。父は娘のことを「かわいそうだけど早く死んだ方が本人も家族も幸せだ」と言っていました。しかし娘と身近に接する中で考えが変わりました。いかに多くの人に娘が影響を与えているかをこの目で見て、役に立つ立たないとは何かを父も深く考えたのです。

母に遅れること二十数年、90歳になって信心を始めました。「あんたたちはたくましいし、正しいと思うから」と。娘、母、私の姿を見て、信仰に対する父の先入観を現実がたたきつぶしたのです。命とは、人権とは、生きる価値とは何か。たいてい生産性がどうとか、弱者は"ご迷惑を掛けている"という発想になりますが、弱者と共にある社会が成熟した社会だと思います。 

障害を持つ娘と年老いた両親を世話することでどんな困難があり、それをどう乗り越えていくかを今ラジオで訴えています。するとリスナーからもいろいろと意見や知恵が寄せられる。経験しているから問題提起ができるのであって、経験していなければ問題になることも分からなかったでしょう。

自身も娘さんと共に成長された。

脇谷困難に遭うと「賢者はよろこび愚者は退く」のですが、若い時は分かっていないから怖い。生まれた娘は目も見えない、耳も聞こえない。なぜ私がこんな子を産まなければならないのかと泣き崩れました。重い宿命を軽く受ける「転重軽受」という日蓮大聖人の仏法があります。当時はどこが軽い宿命かと思いましたが、今はその通りだなと。

娘が生きていてくれたおかげで10人いれば10人違う、それぞれのなすべき使命があることを学びました。自分が今立っている地面、そこに価値があるという生き方を教えてくれたのは、娘が死ななかったからです。娘が亡くなったり、逆に治っていたら信心は違っていたと思います。

娘は死にもしないし良くもならない。家族を覆うそういう"はてな"の中で、私たちは大いなる鍛えを得て、深い仏法を学ばせていただいたと思います。やってもやっても現実が変わらない。すると何故かと考えます。道なき道は自分で考えるしかない。私にしかできない方法は何か。これしかできないからそれをやる。これはありがたいことでした。もちろん治ることは素晴らしいし、母が治った「おめでとう」もあった。それもありつつ、一生を貫く"はてな"もあります。

息子が高校生の時に言いました。「信心してるのに何故、かのこは変わらないのか」と。その時するっと出た言葉が「まだ何も終わっていないでしょ。全てプロセスだから。今、結果が出るということではないでしょ」と。すると「そうやなあ」とすごく納得してくれて、ほっとしました。

高校生らに話す機会もありますが、努力すれば必ずかなうとは言いません。努力してもかなわない、重いドアが開かないこともある。でも努力した分だけ窓がたくさんでき、その窓から出たときドアを開けるよりましなことはたくさんあると伝えていきたい。それは娘が治らなかったから得たことです。

使命が終わるまで娘と伴走しようと思っています。私が娘を引っ張るのではなく、娘の伴走です。それがものすごく価値があることが年を取って分かるようになりました。