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アジアの途上国で無償で治療を続ける小児外科医

吉岡秀人さん(51)(2/2ページ)
2017年2月8日付 中外日報(ほっとインタビュー)

死者の命が子どもの命に変わる

設備が十分でない中で手術に挑む吉岡氏(左)(撮影:内藤順司氏)
設備が十分でない中で手術に挑む吉岡氏(左)(撮影:内藤順司氏)

なぜ、ミャンマーという地を選ばれたのでしょう。

吉岡僕は、第2次世界大戦時に現地で亡くなった日本人戦没者を弔う慰霊団に同行して、初めてミャンマーを訪れました。遺族から「自分の兄弟を助けられなかった代わりに、ミャンマーの人たちを助けてくれないか」という思いと共に寄付を受け取り、医療活動を始めました。

活動している東南アジアには仏教国が多く、人々と接していると、彼らが仏教と生きていることを実感します。一晩中、お坊さんの説法がスピーカーから流れていて、「うるさい」と文句を言ったら、現地の人から「罰当たり」と怒られました(笑い)。お坊さんの話を聞く時には会場がいっぱいになり、ありがたいと泣き始める人もいます。

患者と宗教的な話をすることはありませんが、僕が仏教的な話をすることはあります。「お釈迦様がこう言ったでしょ」というと話が通じやすい。患者が僕に対してすごく感謝をしてくれる時、「戦争の時にミャンマーの人が、多くの日本人を助けてくれた。亡くなった人も死の間際に、皆さんに介護してもらって救われた。皆さんの善意が僕を通じて、ミャンマーに帰っているだけ。だから、お礼は要らない。お釈迦様が言ったように、因果応報で世の中はなっているでしょう」と。すると「お釈迦様はすごいなあ」と言ってくれます。

医者は技術がなければ信用してもらえませんが、お坊さんは存在そのものが信用の対象になっている。患者は手術など怖いときには自然とお経を唱えます。活動拠点としているミャンマーのワッチェ慈善病院はチャーソワ寺という仏教寺院が運営していた病院です。スタッフの宿泊所も寺が所有する土地にあります。僕たちも仏教に守られて今日まで活動を続けてきました。

日本の仏教者もミャンマーで慰霊を続けています。

吉岡ビルマ戦線では、多くの日本人兵士が亡くなり、慰霊碑が残っていますが、どれも朽ちています。慰霊祭も遺族の高齢化で途絶えつつある。手を合わせるだけでは、亡くなった人が救われているのか分からなかった。遺族が僕に医療活動を依頼したのは、ミャンマー人を助けることが彼らにとっての慰霊だったんです。

患者が助かった時に、遺族は亡くなった家族が喜んでいることを実感したと思います。死んだ身内が別の命に変わっていくことを理解した。彼らが失った命を子どもたちの命に変えることが僕の役目だと思っています。

お坊さんには現地に来て、貧しい人たちのお世話をしてもらいたい。日本の仏教者は、死の間際にいる人に寄り添うという生と死のはざまから遠ざかっています。臨終の際に寄り添う役割が医療者にかわってしまった。死んだ後にお坊さんがやって来ても、屍があるだけで、死んだ人も残された人も救われません。死の間際に、お坊さんが救いの言葉を述べなければなりません。生と死のはざまから遠ざかれば、本当の生や死を語れなくなります。医療者にも発言できなくなります。がんで余命数カ月と宣告され、村に帰る患者、家族の表情を見て感じてほしい。

宗教が人を救う本来の役割を果たせなくなっている。

吉岡日本の宗教は先人をあがめている限り弱り続けます。なぜなら、できた時がピークになるから。お釈迦様の教えを知りたいと思うなら、方法は一つしかない。お釈迦様と同じレベルに立つことです。各宗派の開祖は時代の中で町に出て人々の苦しみを感じていたはず。開祖のことを知ろうとするならば、同じ環境を求めなければなりません。

仏教では、釈尊や開祖は、僕たちと同じ人間です。開祖を到達できない目標とすることは、開祖も望んでいないのではないでしょうか。もっと多くの人を助けてほしいと思っているはず。何もしないことは罪なことだと思います。なれるかどうかではなく、求めるかどうか。“求道すでに道である”です。

宗教的な感覚は幼い頃に培われたものですか。

吉岡実家は浄土宗の檀家ですが、宗教的なものに触れる機会はありませんでした。幼少期の頃もお寺に連れていかれることもなく、お盆などに仏壇に手を合わせるくらい。仏教を学んだこともありません。素養のない私が宗教的な発言をすることができるのは、日本の仏教をベースとした文化の力なのだと思います。

この国には、みんなが認識できていないだけで文化の中に仏教などの智恵が染み込んでいて、誰しも自分の中に宗教的な素養を持っているのです。仏教者も一般の人たちも気が付かず、いいかげんに扱っています。自分がいかに素晴らしい宝を持っているのか気付いていません。

巡回診療に訪れている村に、全身から膿が噴き出した18歳の青年が父親に連れられてきました。人違いで刺され、どこかで手術を受けたようです。今思えば、輸血でエイズにかかっていたのでしょう。治療を始めて良くなっていたのですが、3週間たったある日、一緒に来た父親が「村に帰る」と言い出しました。「ここに来るために村の人たちがお金を出してくれて、それを滞在費にしていたが、尽きてしまった」とのことでした。僕は自分たちが暮らしている所に父親を招き、共に暮らしました。

「公衆衛生を良くすれば多くの人が助かるのに、患者一人一人にお金をかけて治すなんてやめた方がいい」と言われることもありました。もし、自分の家族なら、必死になって助けようとするでしょう。日本では当たり前のことがアジアの途上国ではおかしいと言われる。だけど、僕の中にある日本の文化は「一期一会を大切にしろ。お前のやっていることは正しい」と言っているような気がして、自分が信じたようにやろうと決めました。

くじけそうになることもありますか。

吉岡昨年、足に腫瘍がある3歳の子を診察しました。がんだったため、死ぬことは分かっていました。しかし、他の病院では何も治療を受けられなかったと訴える親のために、せめて、ここでしっかりと検査してがんだとはっきりさせてから、村に帰して家族で末期を過ごしてもらうつもりでした。

しかし、若い医師に手術を任せたら、腫瘍を全て取り除こうとした。出血が止まらず、術後に足は腐り、切断を余儀なくされました。なるべく患者にストレスをかけたくなかったが、その子は足を切断し、村には帰れず、死ぬまで病院にいなければならなくなってしまった。全ては若い医師に任せた私の責任です。

そんなときはご飯も喉を通らない。手術をする気にもなれないが、待っている患者がいる。

自分のミスなどで患者が死んだときには、殺したという自覚があります。動かなくなった体を元に戻せません。もうこんな活動、やめれば患者を死なせることもないと思うのですが、本当にやめてしまえば、亡くなった患者の命が他の人の命に転化しない。彼の死によって、他の人が助けられたというところまで持っていかなければ、その人も浮かばれない。重たくても引きずっていかないといけません。しかし、自分を頼りにしなければ、救われません。どこまでも自分の人生と向き合おうと決意しています。