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行き過ぎた忖度 公的ルールを逸脱する危険

2017年5月19日付 中外日報(社説)

「忖度」が論議されている。一般に「他人の心中を推し量ること」という意味に取られている。さらに「他人が口にしなくても、何をしてもらいたいかを推量してそれを行う」というニュアンスがあるという。しかしこれでは「思いやり」と異なるところがない。

「思いやり」は、他人の難儀を理解ないし推量して他者の苦労を軽減しようとする気持ちのことである。つまり、苦労しないで済む人と実際に苦労する人との関係の事柄であり、上位の人と下位にある人との関係のことであり得る。要するに「親切」だ。

それに対し、忖度は単に「思いやる」のではない。下位にある人が上位の人の口にしたくない要求を推量してそれを満たすことであり得る。忖度に長けた部下は上司にとって有り難い存在だろう。有力者に対する特別扱いにもなる。

議論の起こりは、有力者を後ろ盾にした某学園経営者の口にしない要求を役人が先回りしてかなえたのではないか、という事件だ。仮にそれが本当なら、純粋な「親切」「思いやり」ではあるまい。中根千枝氏が日本人論で指摘した「タテ社会」説は一般的に受容されているようだが、「忖度」について議論する場合にも「タテ構造」を考慮すべきだろう。

そもそも日本はいつから「タテ社会」になったのだろうか。様々な見方があろうが、戦国時代が「下克上」であったとすれば、定着したのは安定した社会構造を維持する徳が「忠孝」として求められた江戸時代であろうか。中世の美徳には身分の上下関係の中で成り立つものが多いのだが、江戸時代には主人への忠誠心と滅私奉公がたたえられるようになった。つまり上下関係と個人的な親密さが人を動かすのである。

忖度はこうした社会的構造の中で発達した「美徳」だろう。しかし、これが公的な義務から外れた特例措置になる場合には、平等な市民が構成する現代の契約社会にふさわしいものではない。上下の人間関係が大きく作用するのは、「孝」を中心として老幼の秩序や親密な人間関係を重んじた儒教圏の負の遺産かもしれない。儒教はもともと社会倫理ではなく、老幼の秩序を重んじる家族倫理なのである。

「えらい人」の特別扱いは日本だけのことではないが、ともすると上下関係や私的な親密さが公的なルールよりも重視されかねない儒教圏では特に、公共性に関わる場面でも行き過ぎた忖度やコネが是認される傾向も残っているのかもしれない。公人には自戒を求めたい。