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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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遠い「心の復興」 死者の慰霊あってこそ

2017年3月17日付 中外日報(社説)

東日本大震災から6年を迎えた被災地の東北各地では、ようやく復興への形の見える動きが目立つようにはなった。しかし一方で、犠牲者遺族や原発事故による強制避難で生活基盤を奪われたままの被災者の「心の復興」は程遠い。

津波で地区が壊滅した岩手・釜石の鵜住居では、20メートルもの高台に瀟洒な学校が出来、周辺の道路も整備されていた。宮城・女川では流された町中心部を全面再開発して商業・居住ゾーンに活気が戻る。「新しいスタートが世界一生まれる町」というリーフレットの言葉が誇らしげだ。両県では各地に真新しい復興住宅が立ち並ぶ。

だが500人もの犠牲者が出た宮城・石巻の門脇地区で、高層の復興住宅が目前にそびえる廃虚の荒野を案内してくれた尾形勝寿さん(73)が「町の形が整っていくほど取り残された気分になります」と話した。妻=当時(59)=が走って逃げる途中に流され行方不明。尾形さんは当時、遺体安置所で年格好の似た凄惨な遺体を見て回った際と同じ気持ちで、今も「骨のかけらでも」と探し続けている。地下が暗渠になっている遊歩道のコンクリート蓋を外しての捜索を当局に申し入れたが実現せず、いずれは造成で土に埋もれる。市の大々的な慰霊行事にも、「がんばろう石巻!」の大看板前での催しにも参加する気がしないと言う。

放射能汚染で捜索が阻まれた福島では、原発が立地する大熊町に住んでいた男性(51)が帰還困難区域への一時立ち入りで捜し続けた次女汐凪ちゃん=当時(7)=の遺骨が昨年末、ようやく見つかった。瓦礫に埋もれていたかわいいマフラーの中にあった小さな歯がDNA鑑定の決め手となった。同区域指定の浪江町では、救助捜索活動を断念させられた消防団員の無念の思いが映画化され、海外でも上映された。町役場には消防団員募集のチラシが置かれている。

除染した汚染土の袋が田畑に山積みされ、家や車の残骸が放置されたままの区域で、初めて訪れた見学者が強い衝撃を受けていた。

街並みが消滅した岩手・大槌は広域かさ上げで景観が激変したが、高台の町民会館前の目立つ場所に身元不明遺体の慰霊施設が先月完成した。ガラス張りで棚に並ぶ骨箱が見える異例のデザイン。そこには支援活動を続ける地元の住職の「死者の慰霊なくして復興はない」との訴えも反映されている。被災地のどこでも、亡くなった人々の苦悶と、それを受け止め胸に抱き続けて生きる人々の心とが、未来への歩みを支える。死者と生者のつながり。そこには宗教者の役割もあるはずだ。