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「限界集落」への視点 過疎高齢化と宗教の課題

2017年1月27日付 中外日報(社説)

過疎地の寺院の存廃問題は深刻さを加えつつある。平成に入ってから「限界集落」という概念が注目され、高齢化、人口減少が進む地域の寺の実態に強い関心が向けられるようになった。最近は、増田寛也氏が座長を務める日本創成会議が発表した「消滅可能性都市」が話題となり、それらの地域に多くの寺院が分布していることが指摘されている。

「限界集落」の概念について、提唱者の社会学者・大野晃氏は65歳以上の高齢者が人口の半数を超え、冠婚葬祭をはじめとする社会的共同生活の維持が困難な集落と定義している。社会的共同生活の維持という条件は、寺の護持存続と直結する。

一方、「消滅可能性都市」は人口減少を背景としているが、第一義的には独立の自治体としての存否の問題である。「消滅」は吸収合併という形をとる。これまで自治体合併が直接の原因で寺院が消えたという話は聞かない。日本創成会議がリストアップした地域の寺院が全て存亡の危機にさらされているようなイメージは、「消滅可能性」の言葉が独り歩きしている観もなくはない。

とはいえ、合併で消滅し、人口流出も加速される可能性のある市町村の存在は、宗門にとって過疎地対策を考える指標とはなるだろう。その場合、宗教法人の合併・解散は当然視野に入ってくるが、重要なのは過疎地にふさわしい教化の在り方だと考える。人口ゼロの「消滅集落」になればともかく、そこには人々が生活する。しかも高齢者という社会的弱者の比率が極めて高い。限界集落は宗教者に対する期待が都市部より深いのでは、とみることができる。

ところが、人材難の宗教側はなかなかそれに対応できない。需要と供給のアンバランスが生じている。過疎地寺院を兼務する各僧侶それぞれの努力で辛うじて支えてきた、というのが実情だろう。

宗門の過疎問題といえば、寺院の護持基盤弱体化という経済的側面から捉えられることが多いが、限界集落などに住む人々の問題を教化のテーマとして積極的に検討してはどうか。老夫婦や一人暮らしの高齢者の「心のケア」も重要な宗教的課題であるはずだ。視野を少し広げ限界集落における生老病死の苦にどのように向き合うか、宗門として総合的に研究してみることも必要だと考える。

都市開教と違って教線拡大など未来につながる要素は見えにくいかもしれない。だが、教団の潜在力を掘り起こして、過疎地の無住・兼務寺院を教化拠点として生かすことはできないだろうか。