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人工知能にも限界 価値観や創造力は人間

2017年1月25日付 中外日報(社説)

このところ進歩が目覚ましいAI(人工知能)が注目を集め、論議が盛んだ。形としては「ロボット」だが、先頃トップのプロ棋士をAIが破り話題になった。今月、米国ラスベガスで開幕した世界最大の「家電ショー」はAI製品のオンパレードで、コンピューター制御の未来型自動車も。総務省の報告書では、2020年には人と協業できるロボットが生まれ、25年には家事や介護、秘書やファイナンシャル・プランニングでもAIが実用化されるという。

だが専門家が指摘するように、AIは与えられた膨大な量の情報を分析したり計算、予測したりする能力は既に人間を上回ってはいるが、それは人間が設定した枠組みの中でであり、「価値観」といった要素が関係する仕事はまだまだ達成度が低い。創造力による芸術も然りだ。

政治経済分野でも、東大に合格できる学力をロボットに付けさせる実験で、民主主義への理解度を試す問題への正答率は1割だったと、国立情報学研究所教授が新聞紙上で指摘していた。何かの仕事をどこまで任せられるかという課題でも、AIには「責任」を負わせることはできない、と。

すでに実用化に踏み出した車の自動運転では、信号を守って決められた道を走り、障害物や人間の前では速度を落とす。だが例えば前方の左右に暴走して来るトラックと歩行者がおり、ハンドル操作でどちらか一方しか避けられない瞬間に、どんな判断をAIができるのか――先般、ある宗教関係学会で問題提起があった。事前にあらゆる選択肢をプログラミングするのは不可能だろうし、AIが負えない事故の責任を誰が引き受けるのか。

価値観や倫理を提示するのは当然ながら人間であり、宗教もその重要な要素を担っているはずだ。AIが布教・教化を担ったり、ましてや教祖になることはない、と信じたい。

高度なAIが人間による制御を超えて反逆する物語は繰り返しフィクションとして創作されてきた。例えば映画では、ロボットが反乱する古典的名作「2001年宇宙の旅」をはじめ枚挙にいとまがなく、これらの作品は科学技術の暴走への恐怖や警戒感の表れとして見れば健全だといえる。

ITや生命科学もそうだが、技術発展を野放図に礼賛する危険性は大きい。多くのロボット学者がその研究は「人間の本質を知るため」と語る。AIが発達すればするほど、それと人類、人間文明との関係を深く考察する知恵が求められる。