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神仏よりスマホの目か お天道様が見ているは「死語」

2017年1月18日付 中外日報(社説)

昨年末、大手宅配会社の従業員が配達先のマンションの入り口付近で荷物を路上にたたき付ける動画がインターネット上に投稿され問題となった。

年末は配達する荷物の量が普段より格段に多くなり、配達員はかなり過重な負担を強いられる。そんな中、配達先の留守が重なってイライラが募り、顧客の大切な荷物に八つ当たりしてしまったらしい。

少しは同情の余地が無きにしもあらずだが、それでも決して許される行為ではない。

動画を撮影したのは付近の住民だったようだが、ネットが発達した現代は、自らの行為が誰かによってスマートフォンなどで動画撮影されるかもしれないという、まるで「監視社会」の様相を呈している。誰もが他人のスキャンダルを追うパパラッチになり得る。

しかし、いつ、どこで、誰がスマホを自分に向けているかもしれないとの恐れを抱きつつ、日々暮らさねばならないのでは窮屈極まりない。

そのストレスの反動が思わぬ異常な行動を誘発しかねない危険性も孕んでいる。

「天知る、地知る、我知る、子知る」――中国の故事にちなむ「四知」の教えだ。

後漢の学者・楊震は、彼に推されて役人となった王密が二人きりの場で賄賂を贈ろうとした時、こう言って諭したという。

日本にも同様に「お天道様はお見通し」、仏教的に言えば「仏様が見ていらっしゃる」という教えがある。

お天道様(太陽・天地をつかさどり、全て見通す超自然の存在)や仏様が見ているので、常に身を慎んで正しい行い、教えにかなった生き方をしようということだ。

かつては、子どもたちが何か悪戯をすると、祖父母や父母が「神様や仏様はちゃんと見ているよ」と言ってたしなめたものだ。

しかし、近年、このような言葉はもはや「死語」と化しつつあるのではないか。口では立派な教えを説きながら、その同じ口から他人を誹謗、中傷する言葉を吐いても何ら胸の痛みを感じていない宗教者もいるのでは。

それ以前に、「お天道様」や「仏様」の存在を人々にきちんと説き示すことすら危うい状況にあるのが、宗教界の現状ではないのか。

スマホが神になり、宗教を圧倒するという宗教学者もいるようだが、神や仏の目は意識しなくてもスマホの目は怖いと多くの人たちが感じる状況が、果たして正常なのだろうか。