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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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寺の縁を生むもの 「楽しみ」より教えを

2016年12月2日付 中外日報(社説)

東京のある有名寺院が毎年夏に人気アーティストらを招いて、本堂で僧侶の法話も交えたライブを開いていた。これまで仏教や寺院にほとんど縁の無かった多くの若者らが来場し、「お寺やお坊さんに対する認識が変わった」などと好評だったが、この催しは数年で終止符が打たれた。

ライブ自体は好評だったが、寺側が期待した「若者たちとの縁づくり」という成果がほとんど得られなかったからだ。「お寺で好きなアーティストの歌を聴くのは斬新」だったかもしれないが、多くの若者たちは「何もなくてもお寺にお参りしよう」という気にはならなかったのだ。何が足らなかったのだろうか。

今、寺院などを会場にした「脱出ゲーム」が一種のブームになっているようだ。

これまでのように受動的にイベントに関わるのではなく、用意された謎や暗号などを自分たちで解いて、与えられた状況から「脱出」するという趣向で、ゲームの中には仏教的な教えもちりばめられていて、謎解きに没頭する中で参加者は自然と仏教の教えに触れることができるそうだ。

若者たちに楽しみながら仏教を伝えるという基本的なコンセプトは冒頭に紹介した寺院本堂でのライブと同じ。「受動的(ライブ)」と「能動的(脱出ゲーム)」の違いはあるが、このゲームが、主催する僧侶や寺院が期待するような成果に結び付くのか、現時点では未知数だ。

仏教を伝える手だては様々だ。浄土真宗中興の祖とされる本願寺第8代蓮如上人(1415~99)は能楽などの演芸を説法の合間に演じさせ、聴聞者らを楽しませたし、聞く者の情感に訴え掛ける節談説教も、講談や落語などと同じ話芸の要素を多分に含んでいるとされる。

ただ蓮如上人の能楽も、節談説教も、あくまでも教えが中心にあり、楽しみはその付属物という位置付けだ。

「楽しさ」を享受できる場は現代の社会にはそれこそ星の数ほどあり、「楽しさ」で若者たちを引き付けようとしても限界があるのではないか。

寺院にあって他の場所にはないもの。それは人々の苦悩を救い取る仏教の教えだ。ストレス社会に生きる若者たちの多くは様々な悩みや苦しみを抱える。やはり、若者たちと縁を結ぶには教えを前面に打ち出すべきではないか。

自信教人信。僧侶自らが教えの素晴らしさを領解していれば、おのずと他の人々にもその教えそのものを直に伝えたくなるはずだ。