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「象徴」か神聖化か 国民とともにある天皇制を

2016年11月11日付 中外日報(社説)

天皇陛下が退位(譲位)を望んでおられることが、8月8日の「お気持ち」表明で明らかになった。長寿がまれでなくなり、家族が縮小していく現代の生活形態で、終生、天皇の地位にとどまることが皇室に多大な困難をもたらすとの認識にのっとったものだ。

思い起こされるのは、2013年のローマ教皇ベネディクト16世の生前退位だ。600年ぶりという。高齢のため自らの職務を十分果たせなくなったことによると報道されている。教皇の交代はスムーズに進み、世界のカトリック教徒は新教皇の即位を喜んでいる。

ベネディクト16世の退位理由が天皇の「お気持ち」と同じであるのは注目してよいだろう。世論調査では、国民の多くが共鳴し、生前退位を認める法的措置が取られるのを望んでいる。ところが、生前退位を好ましくないとする意見もあり、それは「国体」を危うくするからだと述べる論者もいる。

「国体」とは、「万世一系」の皇位継続が世界に類を見ない日本の国家の優れた特徴だとする、江戸時代に形作られた思想だ。「万世一系」の皇位は神武天皇まで遡り、神武天皇は天照大神、つまりは伊勢神宮内宮の神の子孫とされる。神話的信念である。1935年の国体明徴運動は、この国体論に反する思想は許さないというもので、国民の思想・信条の自由はそれまでにも増して大打撃を被った。

天皇陛下が神に連なる神聖な存在だという信念は、明治維新以降、国策によって広められ、教育勅語はその普及に大きな役割を果たした。だが、天皇を神権的な存在とする国家体制は敗戦によって終わった。それでもそれを引き継ぎ強化させようとする考え方が今なお存在している。そういえば、ローマ教皇を神聖化する「教皇不可謬説」もあるが、少なくとも信徒以外には押し付けられない。

国家体制に神権的な天皇という信念を持ち込むのは、信教の自由を規定した日本国憲法第20条に反する。特定の宗教的信念を人々に押し付けるからだ。それはまた、天皇を神に連なる存在として神聖化し、その人間性を奪うことにもなりかねない。

天皇陛下の生前退位の意向は、日本国憲法下で象徴天皇について承認されてきた考え方に基づく。人間である生身の天皇が、高齢によって象徴天皇の責務に耐えることができないと述べられた「お言葉」に国民は共鳴している。天皇を神聖化し、その人間性を軽んじるような在り方ではなく、「国民とともにある」ことを望まれる天皇の「お気持ち」を尊重したい。