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過剰な自国礼賛 時代錯誤の危うさを危惧

2016年11月9日付 中外日報(社説)

自分の生まれ育った故郷や国に対する愛しさ、あるいはそこを離れた人が思い出して感じる懐かしさといったものは、おそらくほとんどの国のほとんどの人が共通して抱くものに違いない。

オリンピックでは誰もが自国選手を応援する。高校野球なら、自分の出身または住んでいる都道府県の高校が甲子園出場となれば、たいていそのチームを応援する。そのような気持ちを疑問に思うことさえなく、多くの人はその気持ちを自然なものとして発露している。その空気を吸って育った地域への愛着は理屈を超える。

とはいえ「美しい日本」という表現の背後に他国への蔑視が含まれていたり、「正しい日本の歴史」という主張の背後に美化された歴史観以外は排除するという姿勢があったりするなら、それはかえって外国からの信頼を失うことをもたらす結果になりかねない。

テレビ番組でも、やたらと日本を賛美し、外国人に日本は素晴らしいと言わせたりするのを見かけることがある。まるで自分たちの国に他国に劣ったものがあるのを恐れるような気配が感じられる。これらも、外国人から見て不快な内容なら、結果的に日本の評価を下げることにつながる。

最近出た國學院大日本文化研究所編『〈日本文化〉はどこにあるのか』は、日本文化研究の最新の議論を扱いながら、過剰な自国賛美の危うさにも触れている。この書でも指摘されているが、人類の起源がアフリカにさかのぼることは通説になってきている。このような時代に、日本民族は優れているとか、日本文化は他に類のない良さを持っているとだけ主張するのは時代錯誤的ですらある。報道の自由や男女平等ランキングなどでは、日本社会の評価は下がりつつある。こうしたマイナス面から目を背け続けるなら、国際的評価の向上はなかなか望めない。

東京オリンピックは4年後だ。自国の良さを再認識し、他の国に伝えようとすることに力が入るのも当然の成り行きだろう。だが、それは自国と他国のそれぞれの特徴について、一定の基礎知識や理解を踏まえての話のはずである。

今や世界中で、それぞれ独自の文化と思われていたことの相互影響のテンポは急速に速まった。ハロウィンがあっという間に日本に広まる一方で、ポケモンGOは世界中に同時に広まる。グローバル化時代には、一つの国で生じたことが短期間で他の国々で広まったりする。過剰な自国礼賛もまた伝染しかねない。とすれば謙遜が持つ良さを伝えることにこそ努めるべきではないか。