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新かな実施70年 短歌や俳句界にも浸透

2016年10月26日付 中外日報(社説)

太平洋戦争の初期、東南アジア諸国を占領した日本軍は、現地の住民に日本語を教えることで、親善関係を深めようとした。多くの言語学専門家が派遣されたが、外国人にとって、日本語の習得は難しい。はかばかしい成果が挙がらぬまま、終戦を迎えた。

漢字の画数の多さもさることながら、仮名遣いの複雑さがネックになった。当時、日本で用いられていたのは歴史的仮名遣い(旧かな)と呼ばれるもので、江戸時代初期の17世紀に大坂(大阪)の真言僧で国学者だった契沖が定めた表記法を基本とする。

契沖は、百人一首を選んだ平安時代の歌人・藤原定家の表記法を点検し、時代に即した形に改めたという。契沖制定の旧かなで、分かりにくい点とは……。

例えば同じように「おー」と発音する言葉でも、大阪は「おほさか」、逢坂山は「あふさかやま」、黄金は「わうごん」、応援は「おうゑん」と様々である。「わう」と書いてなぜ「おー」なのか、現地の民に教える日本人も、説明に困ったのではないか。

安田敏朗著『国語審議会』によると、開戦前の段階でも、朝鮮や台湾の旧植民地の学校では、旧かなの教え方に困惑する教師がいたらしい。契沖の時代には合理的と見えた歴史的仮名遣いが、昭和の頃には時代にそぐわない点が目立ち始めていた。

終戦翌年の1946(昭和21)年11月16日、内閣告示の「現代かなづかい」により、発音に近い形の新表記法に改められた。一般に「新かな」と呼ばれる。86(昭和61)年に一部修正されて「現代仮名遣い」となり、広く定着した。新かなは今年で70年の歴史を刻んだことになる。

日本語には、口語文と文語文があるが、新かなは口語文の表記法として制定され、文語文は国語行政から見放された。当惑したのは歌人や俳人である。学校で文語文や旧かなを教える時間が減ると、歌俳を志す新人が減るだろうと心配された。しかし五音七音のリズム感は、日本人に適しているのだろうか。新かなを使い、口語に近い文語で詠む人もあり、歌壇・俳壇は活発である。新かなで詠む人の比率は、俳壇より歌壇の方が高いようだ。

ところで、先の参議院通常選挙では、「憲法改正」問題が争点の一つだった。現行憲法は旧かな表記だ。46年11月3日、つまり新かな制定の内閣告示より13日前に公布されたからである。もしこれが新かなで表記されていたら、若い世代の関心はもう少し高かったかもしれない。