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弱い立場の人を襲う社会 「役に立つ」に囚われる病理

2016年9月28日付 中外日報(社説)

弱い立場の人たちへの攻撃が増え、中には殺害される人もいる。攻撃されるのは、介護施設の高齢者、地域社会で孤立する家庭の子ども、外国人や「在日」の人々、障害者、野宿者などである。大変悲しい社会の在り方だ。どうすれば改善できるのか。

2001年に起こった大阪教育大付属池田小の児童殺害事件は無差別殺傷事件とされる。08年に秋葉原で起こった通り魔事件も秋葉原無差別殺傷事件と呼ばれる。だが、今年7月26日に19人の障害者が殺害された相模原市の津久井やまゆり園の事件は、無差別殺人ではない。特定の人々が意図的に狙われた。

弱い立場の人々が弱い立場であるが故に殺す理由があるとされた。加害者が衆議院議長などに送り付けた文書には「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です」「障害者は不幸を作ることしかできません」などと記されていた。ここには殺害は正当だという正義感らしきものや正義を主張する高揚感が見られる。

加害者には自分が掲げる「正義」が一定の支持を得られるという意識があったと推定できる。事実、事件後、そのような意見がウェブ上を飛び交った。加害者自身が判断能力に欠ける精神障害者であったかどうかは別として、弱い立場の人々を殺害することを正当化する思想を持ち、それを支持する考え方が現代日本社会で一定の力を持つことは重大な事実だ。

ここで思い起こされるのは、野宿者(ホームレス)襲撃事件が頻繁に起こっているという事実だ。野宿者襲撃事件は00年代には頻発するようになり、14年の調査では野宿者の40%が襲撃を経験しているという。加害者の半ば近くは子どもや若者で、彼らは「働かない乞食」「泥棒野郎」などの言葉を口にする。いじめや引きこもりとのつながりも指摘される。「存在価値がない」という感覚は、自死念慮を持つ若者にも通じる。弱者攻撃は加害者側が自己の絶望を紛らわそうとしているかのようだ。

現代日本社会は「役に立たない者はいない方がいい」という考え方が渦巻く社会だ。「役に立つ」とは競争を生き延びて経済活動に貢献するということか。それができない者は生きる意味がないのか。生きる場所を持てないことへの根深い不安とともに「正義」への飢えも見られる。生きる意味を見失う若者や子どもが少なくない。その背後に「役に立つ」ことに取りつかれた社会の病理がある。