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五輪と高校野球 荒んだ世相にも一石

2016年9月23日付 中外日報(社説)

リオデジャネイロ五輪の男子柔道73キロ級決勝で見事な一本勝ちを収め、柔道陣に初の金メダルをもたらした大野将平選手の試合後の姿は印象的だった。

タタミの上ではガッツポーズや万歳で喜びを爆発させることもなく、厳しい表情を崩さず白い歯を見せることすらなく、対戦相手に深々と一礼した。

「(柔道は)相手がいる対戦競技なので。相手を敬おうと思った」。試合後、コメントを求められた大野選手はその理由をこう語った。「美しい日本の柔道を世界に伝えたい」との思いもあったのだろう。

リオ五輪と共にこの夏、日本のスポーツファンを熱くさせたのは第98回全国高等学校野球選手権大会だ。惜しくも優勝は逃したが準優勝の好成績を収めた古豪・北海高のエースで主将の大西健斗選手は、勝利した試合で校歌を斉唱した後、相手校のベンチに向かい深々と一礼していた。「野球の試合は相手チームがあってこそ」と感謝の念を込めてのことだった。

柔道や野球に限らず、ほとんどのスポーツ競技は自分1人、あるいは自分たち1チームだけでは成り立たない。誰かが、どこかのチームが優勝する、その陰に無数の敗者、直接対戦したこともない名も知らぬ敗者がいる。それはスポーツに限らず“勝負の世界”では当然のことだが、大野選手や大西選手のように、勝利の夢をかなえられなかった人たちの心を思いやり、「敵」としてではなく「良き敗者(グッド・ルーザー)」として敬意を表することができる人たちがどれほどいるだろうか。

彼らはスポーツ選手で仏教者ではないが、その言動は仏教の根本の教えの一つである縁・縁起にも通じるものが感じられる。縁あって同じ競技者となり、縁に導かれ試合で対戦し、そして自分が勝者、相手は敗者に。もちろん本人の努力もあるが、このような様々な縁に支えられ、今の自分たちの栄光があることを彼らは知っていた。

仏教、浄土真宗には「権化の仁」という言葉がある。たとえ自分に仇をなした人でも、自分に真実(の教え)を伝えるため存在しているというのであり、仏教的な観点に立てば誰もが皆、自分を救いに導く存在なのである。

例えばインターネットなどで、相手を敵か味方かに分け、敵と見なしたならばとことん叩かないと気が済まないような、荒んだ世の中になりつつある。大野選手、大西選手のような存在が、そんな世相を見直す機縁になってほしいと切に願う。