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忍性と行基 「化身」という信仰のかたち

2016年9月7日付 中外日報(社説)

今年は鎌倉時代の真言律宗の僧、忍性の生誕800年に当たる。これを記念して奈良国立博物館で開催された特別展を見学された方も少なくないと思う。

忍性はハンセン病患者の救済に携わったことで知られる。彼はハンセン病患者を文殊菩薩の化身と見た。『文殊師利般涅槃経』によれば、文殊菩薩は貧窮孤独の衆生の姿で福業を行う者の前に現れ、この菩薩を礼拝することで生死の罪科を滅することができる。

近代ヒューマニズムの見方からすれば、ハンセン病患者を文殊菩薩の化身とするような回り道を経ず、同じ人間としての共感から慈悲の実践を行えなかったのかという意見も出てくるかもしれない。しかし、これこそ近代ヒューマニズムの陥りがちな通弊であろう。忍性はそうすることで、当時世間から忌み嫌われていた彼らの中に、「仏性」を見ていたことをむしろ評価すべきである。

忍性の救済活動には、行基というモデルがあった。行基は奈良時代において常に民衆と共にあり、橋を架け池を造り、貧民救済に従事した。後世、行基もまた文殊菩薩の化身であるという伝承が形成された。忍性は行基に私淑し、修行時代、彼の墓がある生駒(奈良県)の竹林寺に毎月参詣を続けた。忍性自身の遺骨も、遺言により同じ竹林寺に分骨されている。

中世では化身信仰は珍しいものではない。しばしば物語の主人公や伝説上の人物は、神仏の申し子とか神仏の化身という形で登場する。このことにより、彼らは一人の人間でありながら、神仏の加護によって人間以上の力や働きができるとされたのである。

忍性の文殊信仰にも似た要素があったのではないか。彼がハンセン病患者の内に、また行基の内に文殊菩薩の姿を見いだすことで、自分が仏教者としてなすべき社会的使命を発見した。そして自らの活動のエネルギーもまた、文殊菩薩から得ることができたからこそ、これほどまでの仏教事業を行えたのだとは言えないだろうか。

化身信仰は、決して過去の時代に属するものではない。それはまた単なるカリスマ信仰でも、ましてオカルト的な信仰でもない。それは人間でありながら人間を超えた神仏の力を、自らの内在的な行動力に変えていくことができる信仰のありようである。ここに、時代を超えた化身信仰の意義がある。仏教者が仏教者としての内なる力、また誰もが持つ「仏性」を引き出すことができるのは仏の力による。現代において、化身信仰をいま一度考え直してもよいのではないだろうか。