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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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増大する非寛容・差別 危険な言説に立ち向かう

2016年9月2日付 中外日報(社説)

災害や事件などで多くの人の命が失われると、一斉に原因探しや今後の対策についての議論が始まる。予想もつかなかったような出来事であれば、事後に原因なり以後の対策なりを論じるしかない。だが、たいていの出来事は常々起こる危険性が指摘されていたり、予測されていたりする。予想外とか想定外の方が珍しいのである。

死者が出ないと警察も社会も本気になって問題に取り組まない、とよくいわれる。DV、ストーカー、交通標識の不備、災害時の避難通知法の未整備等々、例を挙げれば切りがない。これらの中には心の問題が大きく関わっているものがある。弱者やマイノリティーへの非寛容や差別といった現象は日常的に報じられるが、大量の死者でも出ない限り、本腰を入れて、その根本にある問題に取り組もうとする態度は生まれにくいようだ。

突然の災害や事件で死んだ人を弔うことや、それにより愛する人を失った人の哀しみに向き合うのは、宗教者にとって重要な課題である。同時にそうした人を生み出すかもしれないような出来事を未然に防ぐ、あるいは少なくしていくことも課題のはずである。

例えば、7月末の都知事選でヘイトスピーチによって有名な人物が11万以上の票を獲得したのは、一体何を物語っているであろうか。ほとんど、言葉でマイノリティーを殺すに等しいような行為が強い批判を浴びることなく続けられている。海の向こうでは大統領候補が人間を宗教や国籍で一括りにして激しい罵倒を繰り返している。私たちはかなり危うい状況に直面しているのではないかという認識を持たなければならない。

生きている人が被るかもしれない苦難やいわれなき差別というものに、宗教関係者が本格的に取り組むべき局面になっている。ただし死者の弔いと違い、こうした取り組みは、それ自体が批判の対象になる可能性もある。マイノリティー差別は当然と考える人などは、その取り組み自体を攻撃の対象にするだろうからである。

人が人をいわれなく差別し攻撃するようなニュースが多くなっているのは、現代人が抱えている心の悩みの大きさを訴えていると考えられる。若い世代にそうした人が少なくないことは、とりわけ深刻な事態である。

ネット上の情報に踊らされているような人たちには、直接語り掛ける場を増やすことも考えなくてはならない。生きている人を苦しめている言説に立ち向かうことが、悲惨な殺された方をした人の供養になることもあろう。