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戦争死者慰霊の思想 「無残な死」を直視すべきだ

2016年8月12日付 中外日報(社説)

今上天皇・皇后両陛下が、戦争死者の慰霊を大切にしてこられたことはよく知られている。戦後60年の2005年6月には慰霊のためサイパン島のバンザイクリフを訪問された。サイパン島では日本兵と在留日本人5万5千人以上が死亡したが、そのうち1万人は自決したとされ、「天皇陛下、万歳」と叫び、崖から海へ身を投げた人が多かった。

それが国民として善い死に方、美しい死に方だとする考え方が強く鼓吹されたという事実がある。「軍国美談」と呼ばれるような勇ましい兵士の死が学校で教えられた。明治天皇の葬儀の日に殉死した乃木希典将軍は最も頻繁に取り上げられた英雄だった。特攻賛美にもつながる教育である。

「英雄」の死が賛美されたが、それを受け入れて「自決」するように求められたのは普通の兵士や国民だ。マスコミも早くから「英雄的な死」の賛美に大いに貢献した。日露戦争では広瀬武夫中佐や橘周太少佐が「軍神」として賛美された。日中戦争(上海事変)では爆弾三勇士が「軍神」となった。太平洋戦争が始まると、兵士や一般の国民まで「英雄のような死」を遂げるのが当然のような報道がなされるようになる。

そのことをよく示す語が「玉砕」だ。「男子は瓦のように平凡に死ぬのではなく、玉のように潔く美しく砕け散る」というのが唐代の中国の史書の用法だが、1943年5月にアッツ島守備隊が全滅した時に大本営が「玉砕」と発表した。以来、「玉砕」は全滅を言い換える美辞となり、「一億玉砕」が呼号されるまでに至った。

両陛下のサイパンの慰霊の旅には、このように美辞で飾り立てられた死者も含めて膨大な無残な死者が出た戦争の在り方を、深い悲しみとともに省みる思いが込められていたことだろう。国民が両陛下への敬意を強めた所以である。広島や長崎の原爆の慰霊、沖縄の戦争死者への慰霊にもこの思いは分け持たれている。8月15日の慰霊行事からこのような思いを排除するとしたら、それは戦争死者への冒涜だと感じる人も多かった。

世界の中には、いまだに戦争で勝利をもたらした英雄をたたえることを戦没者慰霊の基軸と考える例があるかもしれない。軍人・兵士の顕彰に力点を置く行事はそうなりがちだ。だが、戦後日本には英雄的な死をたたえる慰霊を主軸として受け入れることが困難な事情があった。日本国憲法第9条にもその思いが込められている。そう感じる日本人が少なくなかったからこそ、今日まで憲法第9条は高い支持を保ってきたのである。