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71年前を語り継ぐ 決意新たに広島、長崎

2016年8月5日付 中外日報(社説)

「米国の大統領は広島へ来て、原爆投下を謝罪すべきだ」と主張していた、80代の被爆者男性・Aさん。5月27日のオバマ大統領の広島訪問以後、謝罪要求を口にしなくなった。

「オバマ氏の態度を見ると、謝罪の言葉はなかったが、広島での行動そのものが謝罪であると感じられた。一国の代表者は、謝罪したくてもできない時があるのですね」。Aさんは71年前、姉と妹を奪われている。

同じような立場のBさんは「オバマ氏は、公人としては謝れないが、私人としては悲しみをもって広島を訪れたと思う。米国は戦争の名の下に、こんなことをしてしまったのだな、との思いを抱いたのではないか」と言う。

もちろん、オバマ大統領訪問後も、17万人を超える“原爆手帳”所持者の中には、謝罪の言葉のなかったことに満たされぬ思いを抱く人もある。しかし、訪問そのものが広島・長崎の世論に及ぼした影響は大きい。何よりも、手ずから作ったという4羽の折り鶴の効果が強かった。

昨年、被爆70年の節目を通過した広島と長崎。今年は現職米大統領の広島招致を果たしたことで、新たな出発点に立たされている。それは「核廃絶実現のために被爆体験を語り継ぐ体制を、どう固めるか」ということだ。

「語り継ぐ」行動の足場の一つは、各高校同窓会の先輩から後輩への継承である。広島ではこの1年間に、次のような事例を聞いた。

ある高校のOBのCさん。広島市主催の、被爆体験伝承者養成事業に積極的に協力してきたが、転倒による骨折で証言(語り部)活動の第一線から退いた。別の高校のOGのDさん。被爆体験文集の英訳出版という国際的な活動をしたのに急病で倒れ、入院した。共に80代半ばである。

広島に転勤した全国紙のE記者は、被爆体験を取材しようとした女性から告げられた。「妹が死んだ。その一言を絞り出すのがつらいのです」と。70年余を経て、被爆地の心の傷は深い。だが、証言は続けなければならない。

Cさんの場合、これまで口を開こうとしなかった元同級生のFさんが、代役を申し出た。Fさんは家族全員を奪われている。生半可な心で語れるものではない。

Bさんが語った。「謝罪といえば、日本にも謝罪すべき国々があります。オバマ大統領を広島に案内した安倍首相に、謝罪の旅をする気持ちがあるでしょうか」と。積極的平和主義を唱える首相に、そのまま伝えたい。