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洪川老師と大拙居士 近世最後の禅匠の遺薫

2016年7月15日付 中外日報(社説)

ZENを世界に広めた仏教学者鈴木大拙が1966年に亡くなって50年。7月12日が祥月命日だった。今年に入ってからは著書などの出版が相次ぎ、記念展、講演等が開催され、業績を見直す機運も高まっている。

大拙は20歳を越えた頃、鎌倉・円覚寺の今北洪川老師に参禅した。没後50年に際して改訂出版された西村恵信・花園大元学長の『鈴木大拙の原風景』(大法輪閣)によって、若き日の大拙の求道の足跡をたどると、1891年7月の親友宛ての手紙に「洪川坊主につきて説教を聞かむとす」と決意を明かしている。

洪川老師は翌年1月16日、77歳で死去する。遷化の場にはたまたま大拙も居合わせたが、参禅したのは半年にも満たない。しかし、出世間的風格を具えた近世最後の「大宗匠」というべき洪川老師との出会いは、その後の大拙の歩みに大きな影響を与えた。西村氏に従えば、老師との邂逅がなければ禅的実践への関心はやがて薄れ、学問的関心へと傾いていたかもしれない。

次に参禅したのは洪川老師の法を嗣いだ釈宗演老師で、大拙は宗演老師に与えられた居士号だ。洪川老師と対照的に近代的な禅僧で、93年シカゴ万博の万国宗教会議に出席するなど国際的に視野が広かった。大拙渡米の縁も老師の同会議参加に始まる。世界的仏教学者鈴木大拙の生みの親である。

大拙居士は宗演老師と同じく、紛れもなく近代的な禅者だが、近世最後の禅匠・洪川老師を深く慕った。やはり没後50年を機に刊行された『禅堂生活』(岩波文庫)所収の「洪川禅師のことども」でも大拙は畏敬の念を込めて師を語っている。

その思いは禅堂修行の伝統を守る必要を説き、禅僧の堕落を批判する同書の「僧堂教育論」(初出・中外日報)と響き合う。大拙の生涯の研究、著作活動の原点は「禅僧とはこんなものか」という印象を胸底に焼き付けた洪川老師の風貌と、両老師の下での修行であったことが改めて理解される。

社会環境の急速な変化に伴い、禅の修行をはじめ伝統的な宗門制度、慣習について、「守るべきは守り、改めるべきは改める」ことがよく議論される。これは「(宗教的価値を)守るために改める」と言い換えてもいいだろう。

大拙居士にとって守るべき「何か」の一つは、洪川老師が体現していたものではなかったか。そのようなもののイメージが見失われるとき、時代相応の変革も迷走する。大拙居士の没後半世紀のいま、考えてみたいことだ。