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政治家は公僕中の公僕 何よりも奉仕の精神で

2016年7月1日付 中外日報(社説)

東京都の舛添要一知事が6月21日に辞職し、夏の参議院選挙に引き続き、都知事選挙も行われることになった。今回の選挙から、新たに満18歳の人が選挙権を行使できることもあり、その意味でも注目が集まっている。

日本の選挙では、とかく名前を知られた人物が当選する傾向がある。政党の側でもそれを見越して、テレビなどで露出度の高い人間を起用する。いわゆるタレント議員である。その一方で、地盤・看板・鞄の「三バン」において有利な世襲議員の存在がある。しかし、この「三バン」中でも看板、つまり知名度が大きな決め手になってくる。いきおい候補者の側も自分の名前を覚えてもらおうと、選挙カーで名前の連呼ばかりするような選挙活動をしがちである。特に地方選挙で顕著な現象だ。

しかし、選挙のときはひたすら頭を下げて回るけれども、当選したらとたんに先生と呼ばれ、いちだん偉くなったような振る舞いをするようになる。何より、自分に与えられた権限や裁量が大きく、つい恣意的な使い方をしてしまう恐れがある。そのため、政治家の不祥事は後を絶たない。

本来、政治家は公僕の中の公僕である。選挙で勝てば何でも自分のやりたいようにできるわけではない。また有権者の側も、選挙で政治家を選んだらそれで終わりというのではない。国民主権の立場からして、常に政治の動向を注視し、絶えず市民として発言していく姿勢が求められる。

選挙は有名人の人気投票ではない。大阪では「お笑い百万票」という言い方があるが、これほど不名誉な表現もないだろう。大衆迎合主義は政治家にとっても、有権者にとっても望ましいことではない。政治家のレベルは、裏を返せばその政治家を選んだ有権者自身のレベルの表れでもあるからだ。

世の中には様々な立場の人々がいる。その利害関係も複雑に入り組んでおり、これらを大所高所から可能な限り公平に調停し、最大多数の最大幸福を図っていくのが政治家の任務である。これは絶えざる忍耐を必要とする地味で地道な仕事のはずである。政治家は、国民一人一人に輝いてもらえるよう、縁の下の力持ちにならなければならない。

政治家がこのような形で社会に奉仕する存在であれば、宗教者もまた別な意味で人々に奉仕する存在である。政治家は生活面での安定を担い、宗教者は精神面での救いに力を尽くしていく。いずれも自分一身の都合を後回しにして、一人一人を輝かそうとする姿勢が必要なのである。