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政治とは何なのか すべての人を愚弄できぬ

2016年6月10日付 中外日報(社説)

東京都の舛添要一知事が、政治資金の「私的流用疑惑」や公用車による毎週末の別荘通い、高額の海外出張などの問題で批判にさらされている。

現在開会中の定例都議会で与野党の代表質問や一般質問が始まるのを前に、同知事は6日、政治資金の問題の調査を担当した元検事の弁護士2人と共に会見を開き、調査報告書を公表した。

報告書は、家族同伴での宿泊費や飲食代、そして自らの趣味のためと受け取られても仕方がない書籍や多数の美術品の購入費などに政治資金を充てていたことについて、「不適切」としながらも違法性は否定。これを受けて舛添知事は「粉骨砕身、都政運営に努めたい」と続投の意向を示した。

漫画本や書道用のシルクの服がどうして政治と関係あるのか首をかしげたくなるが、「政治資金規正法」には、政治についての明確な概念規定がなく、「法の盲点を突いた」報告書だ。これで疑惑は晴れたと思った都民はおそらくいないのではないか。

政界に限らずどの世界でも、それまで低姿勢だった人が要職に就くと、次第に自分を見失い、金銭感覚が麻痺し、自分が周囲から特別扱いされるのを当然だと思ってしまう人がいる。

こういう錯覚を、仏教では増上慢という。いまだに悟りを得ていないのに、得たと思い高ぶる慢心のことで、一般的には自分を必要以上に過大評価して自惚れているさまをいう。

誰にでも自分が周囲から少しでも良く見られたいという思いはあるもので、特に政治家や宗教家など人の上に立つ(立っていると思っている)人たちには、この誘惑が常に付きまとう。

しかし、舛添知事のように飛行機のファーストクラスや高級ホテルのスイートルームなどでいくら自分を飾り立てても、それに見合うだけの内実が伴わなければ、このような舞台装置は虚飾にすぎない。そんなことに税金が使われるのを黙って見ているほど有権者は甘くはないだろう。

日本の政治家には、もっともらしい専門家のお墨付きや、言葉だけでその場を取り繕おうとする人たちが少なくないが、それは一時しのぎにすぎず、そうしたことが重なるとやがて有権者の政治への信頼を失わせていく。

「すべての人をしばらくの間、あるいは少数の人を常に愚弄できても、すべての人を常に愚弄することはできない」

米国の大統領リンカーンのこの言葉を、舛添知事はどう受け止めるのだろうか。